年に2回のBIRTHDAY

公開日: 2013/10/01 思索 自分史



わたしには、年に2回、誕生日がくる。
なぞなぞとか、そういうことじゃない。


生まれた日と、生かされた日がある。


わたしは、29年前の5月17日に生まれた。
そして、14年前の10月1日。15歳で、骨髄移植を受けた。


非血縁者間移植。父も母も弟もHLA不適合だった。
骨髄バンクを通じ、ドナーの方の骨髄で、私は生かされた。


1年に2回くる。誕生日。
2回目の誕生日に毎年思うのは、顔も声も知らない人への感謝だ。


ドナーの方は、当時40代の男性。情報はそれだけだ。顔も声も知らない。
移植終了後に許された一通の手紙。何を書いたかよく覚えていない。

当時の私には、感謝の意を言葉で伝え尽くす術なんてなく、それよりも、目の前で起きるすべてに、日々、微睡み、記憶さえも曖昧なことばかりだ。


あれから14年が経った。
ドナーの方は、今は50代になられたのだろう。父親と同世代だ。


私は、あと数ヶ月で30歳になる。


「30歳以後どう生きるか。自分をどう活かして生きるのか?」


3年程前位から、そんな問いが都度、頭の片隅を掠めてばかりだ。


15歳。骨髄移植後の自分は生かされた自分。
30歳。生かされた時間の方が長くなることを意味する。
30歳からは、自分を”活かして”生きることに決めている。


”誰”に対し、どう”活かせる”のかは、まだはっきりはしない。
でも、生き方のギアを変えることだということは、わかっている。


時間はそう長くはないし、自分にどれほどの時間があるのかもわからない。


どう生きるか、どう働くのか、何を成し得たいのか。
誰に、どんな顔をしていてもらいたいのか。
そのために,自分をどう活かすのか。


O型だった血液型はA型に変わった。
性格が変わったかどうかはわからない。

ただひとつ、変わったことがある。
「還していかなければいけない」と様々な場面で、思うようになったこと。


『自分を活かして”なにか”を社会に還していきなさい』


そんなときは、ドナーの方の、命を賭した”意思”が、そう言っているのだと思うようにした。いや、きっと、そう言っている。


人生の中で出会う出来事を意味づけ、一本筋を通そうとすることは、「自分は、これを為し得るべきなのだ」という使命感のようなものを生み出すんだ。
そのことに、この10年で気がついた。


『自分を活かして”なにか”を社会に還していきなさい』
この過程で、いつか、きっと、どこかで、ドナーの方に会える気がしている。


どんなに言葉を尽くしても、感謝のすべては伝えることはできないだろう。
けれど、きっと、そんなことは気にされないだろう。



恥じない生き方をしたい。その生き方が刻まれた顔をして、会いたい。
今は、ただ、それだけだ。


HAPPY BIRTHDAY、自分。



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