1人でも多くのクライエントを支えるための方程式について考える
SCAホームページにて配信させていただいた
多く の方々から反響を頂きました。大松先生自身が業界の大ベテランだということももちろんですが、 私は何よりも以下の一文に心を素手で掴まれた気持ちがして、頂いた文章を読んだとき、 少し涙してしまいました。
「年齢や経験年数、あるいは働いている領域が違っても、
この一文を書かれた大松先生だからこそ、SCAを応援してくださったのかなと思います。 本当にどうもありがとうございます。
彼の職場は俗にいうソーシャルワークをさせてもらえない環境にあ りました。
上司もいない、患者さんのネームバンドを作ったり等、 雑用掃き溜め場のような部署でした。彼が辞めたあとも、その病院は、 新人の方が入っては出てを少なくとも当時3年間は繰り返していま した。
結果の全てを、個人の能力やセンスで語ってしまうのは、 楽なことです。
なぜなら、自分に取って関与できないことは、イコール「他人事」 にしてしまえるからです。
「あいつが現場から去ったのは自分には関係ない」 本当にそうでしょうか?私はそうは思えないのです。
クライエントの方、同僚や上司、 組織に迷惑をかけながらも育ててもらったという自覚があるのであ れば、そして、自分が今現在、少し余力があるのであれば、 それを業界全体に還元するということを考えてほしいと強く願いま す。
どんなに優れたソーシャルワーカーであったとしても、 ひとりのソーシャルワーカーで支えられる人の数には限界がありま す。
友人のバーンアウトによる離職は、「 志や何かしらの熱意をもって業界に入ってくる人たちを、業種や領域に関係なく支え合う仕組みや風土ができなければ、 この業界は、今後どうなるんだろうか?」と当時2年目ながら、私に強烈な危機感を与えました。
当時、職能団体の飲み会にも何回か参加しましたが、 上記危機感を共有できる仲間に出会うことはできませんでした。
平日夜や休日は、俗にいう社会人大学に通っては、都度、 ソーシャルワーカーの仕事とは?という問いに対して何度も何度も業界の外の人たちに説明する機会を得ました。 その中で出会った人が、数年後、SCAのメンバーになってくださったという幸運もありました。
そうして、1年前、改めて業界内に向けて、 メッセージを送ったとき、今度は多くの仲間に出会えました。
幸運なことに、SCAに集う方々は、 様々な領域の方がいらっしゃいます。
中堅どころに足を踏み入れた方も多く、 各職能団体で活躍されてらっしゃる方も多いです。
そういった方々が、 SCAの理念やミッションに賛同してくれてるという事実が、
上記は、今後10年、20年、 30年を要する長い道のりになると思います。
大松先生の問い「ソーシャルワークは誰のものか?」 という問いを忘れずに、
『現役を退いていますが、30年たって思うことは、年齢や経験年数、あるいは働いている領域が違っても、 社会福祉を共通基盤に仲間同士で支え合うことに意味があるということです。恥ずかしいのですが、 この年齢まで余りそれを感じていなかったように思います。
つまり、良き先輩、同僚、後輩に自分は支えられているのだ、 という自覚が欠如していたのです。多くの方々にお詫びしなくてはなりません。いま心から、 仲間を支えたい、また、自分も支えて欲しいと思っています。 そうでないと力が湧かないし、 新しい発想は生まれてこないように思えてなりません。』(全文はこちらから:http://social- change-agency.com/?p=1199)
「年齢や経験年数、あるいは働いている領域が違っても、
社会福祉 を共通基盤に仲間同士で支え合うことに意味があるということです。」
私がSCAを仲間たちと立ち上げるに至った一番大きな理由は、 現場2年目のときに、
懇意にしていたMSWの仲間がバーンアウトによって現場を去った 、という経験をしたことでした。
私は彼のソーシャルワーカーとしての価値の言語化にいつも共感し ていました。現場1年目に職業的価値観が共有できる仲間に出会えたことを嬉しく思い、 互いに現場で得た気づきを共有し、切磋琢磨し合える関係が続くだろうと思っていたのです。
私は彼のソーシャルワーカーとしての価値の言語化にいつも共感し
彼の職場は俗にいうソーシャルワークをさせてもらえない環境にあ
上司もいない、患者さんのネームバンドを作ったり等、
かたや私は先輩に恵まれ、大事にされ、 キャリアをスタートさせることができていました。彼と私を分けたのはたったひとつ、「置かれた環境」でした。
この業界から去る人間たちの後ろ姿に、「あいつは能力、 センスが無かったし仕方ない」と言う人たちに、私はとうとう1ミリも共感できぬままここまできてしまいました。 ときにそれは自分を辛い状況に追い込んだりしたこともありましたが、今となっては、 自分の感覚に従うことができてよかったと思います。
この業界から去る人間たちの後ろ姿に、「あいつは能力、
結果の全てを、個人の能力やセンスで語ってしまうのは、
なぜなら、自分に取って関与できないことは、イコール「他人事」
「あいつが現場から去ったのは自分には関係ない」
クライエントの方、同僚や上司、
どんなに優れたソーシャルワーカーであったとしても、
より多くのクライエントを支えたいと思うのであれば、 自分の横に立ち、 共にクライエントを支え合える仲間を増やしていくという選択肢が 必然的に生まれてくるはずです。 自分の横で共にクライエントを支える人たちを増やし、 そして支える側に立つソーシャルワーカーたちで支え合う、 それこそが「1人でも多くのクライエントを支えるための方程式」 であると私たちは考えています。
少しの余力がある人たちから順番に、 その余力と知を業界全体に還元していきましょう。
そして、 その還元先のひとつの選択肢としてSCAが存在し得たなら、 嬉しく、光栄なことです。
そして、
友人のバーンアウトによる離職は、「
当時、職能団体の飲み会にも何回か参加しましたが、
私はそれ以降、職能団体や業界構造から離れ、 業界の外から業界内をしっかりと眺めることのできる時間と力をつけようと思い、3年目以降、 業界の外に出て行くようになります。
平日夜や休日は、俗にいう社会人大学に通っては、都度、
マスメディアへの転職・ 就職を目指す人たち向けの講座に数十万払って、 言葉の力を磨くトレーニングに通ったりもしました。
そうして、1年前、改めて業界内に向けて、
それはおそらく、一度業界の外から、 業界内部を眺める時間を取ったことで、私自身が、 自分が身を置く業界の問題だと考える事柄を外在化することができたからこそ、 業界内部の人と共有できる言葉となり得たからなのだと考えていま す。
ひとりの社会の支え手が、ひとりぶんのパワーで、 しっかりと社会を支える仕事に従事できる環境をつくり、支え手たちによる「支え手共同体」を構成する人たちで、 力を合わせ、社会を支え、そして、社会を変える、そんな未来をSocial Change Agencyは、現実のものとすべく歩を進めていきます。
幸運なことに、SCAに集う方々は、
中堅どころに足を踏み入れた方も多く、
そういった方々が、
少し先の未来に、多くの職能と職域の人たちが、 本気でこの業界を支える仕組みについて考え、未来のソーシャルワーカーたちにとって今よりより環境を創ってい くこと、ひいては、業界全体が共同体化し支え合い、ときに強固に連帯し、 業界の総意として政策決定過程に介入していけるような着実なソーシャルアクションを起こしていけ る生態系が生み出されることを私に強く信じさせるのです。
上記は、今後10年、20年、
大松先生の問い「ソーシャルワークは誰のものか?」
多くの方々と着実に歩を進めていきたいと強く思っています。
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