援助者は自身の心身の健康が保たれていなければ、現場から立ち去るべきか?

公開日: 2014/09/08 CSW CW MSW SCA 思索 自己覚知



 「バカヤロー!!自分がリカバリーできていない奴が、他人のリカバリーに関われるはずがねえだろう!!どこまで甘いんだよっ!おまえはっ!!」

知り合いの精神科医から聞いた、上級医から研修医に向けられた言葉だそうです。

この文脈での「リカバリー」は、おそらくその研修医自体に、過去の解消し切っていない個人的な問題があり、それを現場に持ち越しているという状況のことを指し、それを上級医が見抜き、指摘したのでしょう。


本エントリでは、リカバリーをもう少し広義に捉え、「援助者が心身の健康を害しており、回復までに数ヶ月を要することが想定され、それ故、援助の質を低下させてしまう要因を抱えており、その対処がなされていない(働き方等含め)状況からの回復」と定義します。


私は、自身の援助者としてのリスクを大げさすぎる程勘案してきた人間です。
それは、私自身が有している個人としての価値観等が、容易にクライエントを切り裂く刃となり、不利益を被らせることになりかねないということに自覚的でなければならないと、必要に迫られたからです。

このように文章を書くようになったひとつの理由も、自身の思考や価値観を文章にし外部化することで、経験や思考を自らの手の中におさめる、つまりは、「言葉で経験や価値観という獣をコントロールする」という方法を採用したからでした。

(以下、そのあたりのことについて書いています)


わたしは、自分の心身の健康が損なわれたとき、現場でリカバリーしながら、心身の回復を待つというのは援助者のエゴだと思っています。どうしてもその考えを捨て去ることはできません。

心身の健康が損なわれている状況下では、援助者がクライエントに提供できる援助の質・パフォーマンスは圧倒的に低下することは明らかですし、いくら知識や技術を有していても、その扱い手であるカラダが機能不全を起こしているのであれば、知識や技術はそもそも意味を持ちません。

「現場で徐々に、リカバリーしながら、回復しながら、騙し騙し試運転していけばいいじゃないか」という言葉に対して、

「では、リカバリーしていく間に、出会うクライエントヘの援助の質はどうなるの?誰が担保してくれるの?」


という問いを返すことが必要だとは思いますが、この問いの答えは明白でしょう。

ただでさえ、対人援助の仕事は、他者に多くのエネルギーと意識を向けることを要請します。ですから、そもそもエネルギーを格納する容器に穴が空いており、だだ漏れしてしまい、常にエネルギーが不足している状況下においては、援助の質を「保つ」どころか、劣化せざるを得ないのは、考えればわかります。


自分を守るためでもあり、何より、クライエントの守るために、現場に立つことを「一旦」止める。そういう選択肢もありますし、実際にそのような理由で現場から一旦離れた方もいるかと思います。


お金を稼ぐだけであれば、この仕事ではなくてもいいのだといつも思います。
他者の人生の困難ないっときを支える仕事であるソーシャルワーカーは、自身のパフォーマンスの質が低下してしまったという自覚があるのであれば、「(一旦)現場を去る」ということを考えてみる必要があると、やはりわたしは思うのです。長期のお休みを取れる環境であればそうしてもいいと思います。


援助者としてではなく、1人の人間としての生活(稼ぎ)と、他者の人生の困難ないっときを支えるということは、経済合理性の中で語ることがとても難しいように思います。


自分が食べていくために、心身の健康が損なわれている状況(つまりは、クライエントに対して不利益を被らせるリスクが高い状況)で、現場に立ち続けるという選択を、私はどうしても心からよしということはできません。

「現場でしかリカバリーできない」というのであれば、そもそもこの仕事を選ぶべきではなかったのかもしれません。他者の人生は、”わたし”の治療のための診察台ではないのですから。


やはり、一度、現場から離れて、自身の心身の健康を回復し、リカバリーする時間をとって上で、再度現場に戻るという選択肢が取れることが一番よいのでしょう。


クライエントに不利益を被らせる、だなんて、普通援助者は思いません。
みなが、真摯に、クライエントの利益をと思い現場に立っているのですから。
ですが、私はその上で、「自分が関わることで、必ずクライエントの利益となる」マインドセット自体が、エゴであると言い切りたいと思います。


そのあたりは、こちらのエントリで書きました。


ですが、援助者も、いち被雇用者であり、市場の需要と供給の中で、働く場所を見つけることには他の業種と変わりないわけですから、「やっと掴んだ職場でのポジション」を、手放すことへのもどかしい気持ちがあるというのも当然理解できます。専門性どうのこうのの前に「食べていかなければならない」わけですから。


私は、ソーシャルワーカーの雇用や働き方がもっとフレキシブルで流動的なものになるべきだと考えます。心身の健康を損なっていても、働き方や働く場所等、負荷を減らすことで、リスクを減らすということも考えられるかもしれません。
この業界の人的資源の偏りを知るにつれ、人的資源の再配分や、活用できる仕組みを考えるべきだと思いつつ、併せてソーシャルワーカーたちの思考フレームはビジネスセクター等でも活かせると思っているので、働き方を多様化する、働く場を開拓するという意味でも、頭の隅っこ(今現在の優先順位は低いので)に入れておきたいテーマだと思っています。


最後に、ひとつの問いを差し向けさせていただきます。


『あなたは、自身の人生の困難な時期に出会った援助者が、援助者自身が現在進行形で心身の健康を崩しており、「あなたの前でも、あなたよりも、自分の論理を優先することがわかっている」とき、そのような援助者に、関わってもらいたいと思いますか?』


私は、NO,です。ですから、私は、自分が援助者として、「現場を離れる」という選択肢を選びます。みなさんはどのように考えますか?


もし、この問いを考えなくて済むのであれば、どれだけ楽になることか、といつも思います。ですが、現場において最優先されるべきものがクライエントの利益である以上、援助者としての自分が抱えているリスクはきちんと見極めておかなければならないのだと思うのです。


*本エントリは、私自身が多様なリスクを抱えていますので、起こりうる自身の未来への想像を働かせて書いてみました。(そうならないようにという願いも込めて)


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