エッセイ)「風立ちぬ」のワンシーンから考える”他者性の欠如”について
公開日: 2014/03/12 思索
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結核で弱っていく菜穂子(ヒロイン)が、二郎(主人公)にその姿を見せたくない思いから、1人結核病院に戻っていくというシーンがあって、そのときに、ふたりが居候させてもらっていた二郎の会社の上司の奥さんが
「自分の美しいところだけを愛している人には見せたかったのね」
と、菜穂子の姿の消えた部屋で、言うシーンがある。
これで人目をはばからず嗚咽を漏らしたんですが、「なぜ、自分がここで嗚咽を漏らしたのか」ということが、先日やっと、理解できた。
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30歳を前にして、
「自分がなぜ言語化にこれほどまでに固執し、そして社会に対して何かを為そうとするエネルギーが決して枯渇しないのはなぜか?」という理由にこたえることができる「完璧なる、形式美さえ伴う定義」を、ここ数ヶ月で得ることができた。数式と言ってもよいかもしれない。
これは本来は喜ばしいことだったはずなのだけど、どうやらそうでもなかった。
「完璧なる、形式美さえ伴う定義」を得たことで、”余白”が消え失せた感を得てしまった。これは誤算だった。
「完璧なる、形式美さえ伴う定義」は、黄金比を有し、それ以上加えたり、除いたりすることを、決して許さない境地のものだった。
それほどまでに、数学的にも美しいし(数式が複雑ではなくシンプル)、自分を納得させ、そこに形式美さえ感じさせてしまうほどのもの。これによって、生きていくのは楽になるはずだった。
数学的美しさは、過不足を許さない。
それゆえ、この数式には「余白」が、ない。
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言葉を重ねると語ることができることが増えていく。
語ることができることが増えていけばいくほど、全ては自明性(わかりきっていること)のもとに集い、語ることができないもの、つまりは余白が減っていく。それは苦しさを伴うように思う。
苦しさとは、余白が減ることで、常に、「わたしはわたしについてわかっている」という自明性により、うつろう自我の逃げ場が用意してあげられなくなる(拡散を微塵も許さない)という苦しさ。
余白は、暗闇のように、自明性のスポットライトの届かない隠れ家のようで、どうにもならないものたちを、そっとそこに招いては、微睡わせて、よきものわるきものの境界線を朧げにし、気づいたら、どうにもならないものたちが、なにものかになった、という不思議なことを助ける。
余白が無いと、「気づいたら、どうにもならないものたちが、なにものかになった」ということがなくなってしまう。
どうにもならないものたちのなかには、醜きものが多く含まれる。
それは、自覚した瞬間に吐き気を及ぼすような類のものだ。
『醜きものを他者にはみせたくない』
そう思えば思うほど、わたしを構成する全てのものは、インスタントな言葉で乱雑に、自明性というスポットライトの下に駆り出されていく。
どうにもならないもののなかにある、醜きものを他者に見せたくないというおもいが、自明性のスポットライトへ急がせる。
醜さを隠すために、どうにもならないものを、「わたしはわたしについてわかっている」ということにしてしまうことで、どんどん余白は、乱雑に埋まっていく。
インスタントな言葉で乱雑に自明性の下に駆り出された、わたしのどこか一部は、余白を悪戯に埋めていく。
『醜きものを他者にはみせたくない』という思いが、わたしを構成するすべてのものを、「わかりきったこと」という自明性のスポットライトのもとに、連れてきてしまった。その結果が、「完璧なる、形式美さえ伴う定義」だったのだと完全に自覚した。
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『醜きものを他者にはみせたくない』
この文脈に、風立ちぬの菜穂子の「自分の美しいところだけを愛している人には見せたかったのね」がシンクロして、だから嗚咽を漏らしまくったのだろうと。
劇場でみたときは、そこまでわからなかった。
新たに考えなければならないことは、「完璧なる、形式美さえ伴う定義」の中には、「余白」が消え失せ、そして「他者」が登場しない、ということ。
「他者性の欠如」
これは、どういうことなのか。
その問いと、今後また、付き合っていかなければならない。
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でも、自身が有するこのような精神性さえも、織り込み済
こういっためんどうくさい精神構造を有しているからこそ、永久機関のようにエネルギーを生み出し続けることができることに自覚的であるならば、あとはそれをどう扱うかという問題についてのみ考えればいいので、容易なこと。
「わたしは、いつだって、ゲストではなくて、キャストでいたいんです」
という一言が象徴的だった先日
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