エッセイ)「優しいだけじゃ、プロにはなれない」

公開日: 2014/02/08 MSW コミュ論 思索 問いから言語化に至るプロセス



どんなに高尚な技術もなにも、それを用いる援助者のカラダや心や構えが、それを扱うに値するか否かということを私は常に考えています。


援助者としての”在り方”、”構え方”
そしてそれらを形成するに必要な”思考レベルの準備”と”行動レベルの準備”

これらが為されていないと、どんな技術も知識も、「貧弱なカラダに重厚な鎧や武器を纏い、重くて動けない」状態と同義となり、なんら意味をもたないと思うのです。


知識や技術(という武器や防具)を纏うカラダを鍛えるには、筋トレしかないと思うのです。つまりは、自主トレーニングです。


「あなたは、援助者としてどのような自主トレをしていますか?」という問いに答えることができなければ、真にはプロフェッショナル失格だと私は思います。


現場で、知識と技術を纏い過ぎて、でも「カラダ」が初期設定のままで、重さに耐えきれず、ダボついている人には私は決してなりたくないのです。



”現場”はプロにとっての「試合」であって、草野球でもなければ、バッティングセンターでもないはずです。



練習も自主トレも自らに課さずに現場に出る人間は、究極的にはクライエントを尊重していないということになります。それは、現場や実践=クラインエントの人生に関与しているという自覚の欠如としか言いようがない、と私は思うのです。




「優しいだけじゃ、プロにはなれない」



そう思いませんか?



「あなたは、援助者としてどのような自主トレをしていますか?」
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