『ヒマ論』 -アドレナリン分泌型援助スタイルからの脱却を目指して-
1.ヒマは悪いことではない。
ヒマ→患者さん家族にじっくり関われる→複数の数手先を想像しながら、援助過程を生成できる→結果、余計なコンフリクトを生じさせず、いろいろとうまくいく。→もっとヒマになる。→このループが続く。
体感的なヒマ値(ひまち)っていうのはものすごく大事で、ある一定のヒマ値が蓄積されると、早く帰る以外に、援助過程で用いることのできる手が”一手”増えたり、今まで見えなかった層が見えるようになったりと、ボーナスがもらえる。(表現が稚拙ですいません)
2.アドレナリン分泌型援助スタイルからの脱却
急性期病院のソーシャルワーカーには、”時間的制約”とか、”ケースの見てくれのヤバさ”などから、アドレナリンを分泌させまくって、”ソーシャルワーカーズ・ハイ”みたいな感じで、ドヤーーッ!!!って感じの援助スタイルを有している人が多い気がするし、自分もその傾向があることは否めない。
でも、もう7年目だし、アドレナリンに頼るスタイルは卒業したい。なんか、カッコわるいし。体力勝負みたいだし。 自分は体力ないから、このスタイルをずっと続けていく選択はし得ないわけで、”体感的ヒマ値”論を今後も研究し続けることは、職業人生を長く続ける上でも必要なことだと思っている。
3.体感的ヒマ値は、何の産物か?
真面目な話、ケースと対峙し、クライエントに教えてもらった事項と付随する客観的事実を基に、問題軽減・解決のプロセスをイメージしたときに、「細かい行動レベルまで落とし込んだ上でのゴールまでの手数」が勘案できるようになってきたことが、体感的ヒマ値レベルアップの一番の要因だと思っている。
細かい行動レベルっていうのは、”誰に対して何をする”とかそういうこと。 電話するとか。情報調べるとか。誰かと対面で打ち合わせするとか。 短期目標に至るまでに、上記の細かい行動が最低いくつ必要かとか。そういうことだ。
ここまで、細分化して、イメージできるようになると、それに必要な時間のイメージもつくので、「今日の自分のもち得るリソースを勘案した上で、今日はなにができるか。なにをどこまですべきか」ということがわかるようになってくる。
将棋に例えれば、あと何手後に、盤上がどのような状況になっているのか ということの予測が数パターンつく。これは、自分にとってはものすごく進化で、”体感的ヒマ値”を生み出すための資源になっている。
手抜きや怠慢の結果に生まれた”ヒマ値”は論外だけど、自分の仕事のやり方をきちんと考えた先に生まれた”体感的ヒマ値”は、大切にしながら、育てていくべきだなーと思う。
アドレナリン分泌型援助スタイルからの脱却。
早く、卒業したいと思う今日この頃。そのための「ヒマ論」を追求したい。
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