”専門職としての自分”と”1人の人間としての自分”(エッセイ)
数ヶ月前の出来事。
長いお付き合いだった患者さんが亡くなった。
その奥さ んが、主治医と担当ソーシャルワーカーだった自分に
主治医と自分と奥さんとで数分立ち話。
奥さんが、過去の関わりの記憶を言葉にされながら、
「いつも、ふ たりで、いいタッグで、支えてくれてありがとう。」と一言。
主治医と自分で、顔を見合わせて、どんな顔をしていいかわからず 、
主治医と自分で、顔を見合わせて、どんな顔をしていいかわからず
照れ笑いをしながら、少し涙腺が弛んだ気がした。
涙腺が弛んだ理由は、”援助過程が終結したから”なのだろう。
そう思うことにした。
援助関係という枠が外されたからこそ、言える言葉、言うべき言葉
できる表情、というものがある。そんなことを思った。
患者さん家族を、診断的な視座から、眺めることを止めることがで
患者さん家族を、観測物のようにみてしまうことから、離れること
目の前の人の生き様に対し、自然と尊敬の気持ちを抱くことができ
それは、”1人の人間としての自分”が、”専門職としての自分”
有意に、前面に出てこようとしているときなのだとおもう。
これは、よいとか悪いとかそういう類いのものでなく、
ソーシャル ワーカーとしての自分に多くの気づきをもたらす。
専門職として生きてきた時間が、皮膚のように自分の身体に染み込
”1人の人間としての自分”の上に積み上がる ”専門職としての自分”が良い意味でも、悪い意味でも、”1人の 人間としての自分”としての振る舞いや価値判断をコントロールす るようになる。
”1人の人間としての自分”、”専門職としての自分”
両者を行ったり来たりしながら、上手く出し入れをしながら、
適度 に分量を調整しながら、日々、現場に立つ。
それはもう当たり前す ぎていまさら、言及すべきことはあまりない。
「奥さんも、ご活躍を!」
去り際、「明日も仕事なのよ!」と笑う奥さんの横顔と背中に向け
思わず口から出た言葉だった。
お元気で、とか、お体に気をつけてとか、他にも言葉はあったのか もしれない。
お元気で、とか、お体に気をつけてとか、他にも言葉はあったのか
でも、援助過程が終結した今だからこそ言える、
ちょっとだけ無責 任な、でも、相手の未来に向けた、エール。
これからも続いていく奥さんの人生に対して、少しばかりのエール
それがきっと、”1人の人間としての自分”が奥さんに送りたかっ
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