”困難ケース”に対峙した際、援助者として取るべき行動について考える

公開日: 2013/07/14 MSW 思索



この仕事をしていると”困難ケース”という表現をよく聞く。だが、その定義は曖昧だ。
援助者が、「これは、困難ケースです」と言語化し、外部化した瞬間に、ケースは「困難ケース」となる。つまりは、明確な定義など存在しない。

「困難ケースだ」と、言葉で定義することにより、援助者の中により一層の困難感を生んでしまい、次にどのような行動を起こすかということがセットで語られにくくなる。俗にいう思考停止状態に陥る。「困難感」は主観的なものであるのだから、それを用いることでマイナスの要素しか生まないのであれば、その言葉を用いるメリットはゼロだ。


だから、私は、困難ケースという呼称を使うことをしない。


そもそも、”困難ケース”の定義は、おそらく、”ありとあらゆる資源を投入しても、クライエントとその環境が有する問題が軽減、解決できない事態(ケース)”という感じかと思う。


もうひとつは、”援助者側の経験や力量の問題で対処不能・困難な事態”という定義。


この定義において、援助者側が「困難ケース」という呼称を使うのであれば、一度、頭をよく冷やすべきだと思う。この呼称を使わざるを得ない状況に援助者がいるとき、まず取るべきは、援助者自身がもつワーカーシステムの拡充と再編成と思う。


現時点で、援助者が対処できないなら、援助者自身を取り巻く資源を強化するしかない。(援助者の成長を、いちいち、クライエントは待ってはくれない。だからこそ、資源を増やせ、拡張せよ、となる。同僚、上司、機関内の他職種、他機関などが拡張される資源先となる。)


自らが有するワーカーシステムの評価と点検を定期的に行なうことは、クライエントの利を考える上で大切なことだ。



昔の自分が「これは困難だ」と感じていただろうケースを、今振り返ると、「どのように、層を積み重ねていけば、皆目検討がつかない」という状態を指していたように思う。



困難感を、大きな岩に喩えたとしたら、「大きな岩が大きな岩にしか見えない」から、困難感を与えているわけで、たとえ岩がどれだけ大きくても、大きな岩を眺めながら、岩を構成する層がはっきりと見えていれば、その層に合わせて、丁寧に岩を削っていき、割れ目をいれることなく、壊すことなく、大きな岩の重さを軽減していくことができる。


経験を丁寧に重ねると、大きな岩のような重量感のあるケースも、経るべきプロセス(層)の見極めが可能になる。丁寧に問題を削ぎ落しながら、問題解決に向けて、クライエントと一緒に歩をすすめることができるようになる。


援助者自身が「これは、困難ケースだ」と感じるとき、そこで思考停止になるのではなく、まずは、自身のワーカーシステムの拡充と再編成を行なうべきだという思考に移行するよう、身体に叩き込むべきだ。



結果として、それがクライエントの利を守ることにも繋がるし、援助者自身を過度の疲弊から守ることにもなる。


困難感を感じたときこそ、思考を閉じるのではなく、外へひらく。
そのためには、ひらいた先に、手を差し伸べてくれる仲間が必要だ。


1人では、クライエントの人生をいっときであっても支えるには、重過ぎる。
自分の現時点での、力量を知り、対処可能な限界を知っておくこともまた、専門職としての責務であると胸に留めておきたい。


【参考】
ケアマネジメント困難事例集
支援が困難と感じたときのヒント
pdfファイル


世田谷区地域福祉部介護保険課が発行している事例集。
困難ケースの定義についても触れられており、一読の価値ありです。


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