大局観(Books)

公開日: 2012/04/09 勝手にブックレビュー 読書記録

学ぶことと教えること。この2つについて、中堅(世間からはそう言われる…笑)という立場になり、考えることが多くなりました。

私は、特にこのブログにおいて、「教えるという経験無しにキャリアを積み上げることの危険性」について幾度度無く言及してきました。(参照:スーパービジョンの意義についての個人的見解)


日々、現場から学問から「学ぶ」
得た「学び」を自分の言葉で「教える」ことができるようになる。

実践、教育、研究。

専門職としての3本柱について考えるとき、このどれかが欠落しているとバランスの悪い専門職になってしまわざるを得ないのでは考えています。

棋士の羽生善治氏は著書「大局観」で「教えることについて」以下のように記しています。
非常に示唆的な言葉であったので以下抜粋します。

将棋を教える時に肝心なことは、教わる側が何がわかっていないかを、教える側が素早く察知することだと考えている。ただ、基本通りに伝えたとしても、理解できることとできないことがあり、つまずきやすいポイントもある。
 人間というのは、自分でわかっていることに関しては手早くポイントだけを取り出して相手に教えて、たくさんの説明をつい省略してしまいがちだ。そのせいで、教わる側が理解しにくくなってしまうこともある。人に教える時には、自分が理解した時点まで戻ってていねいに相手に伝えないと、うまく理解してもらえないのではないか。(中略)
一方的に入ってきた知識は一方的に出て行きやすい。しかし、自分で体得したものは出て行きにくい。小学生に大学の講義を聞かせてもチンプンカンプンなように、相手のレベルに合わせて、相手が必要としていることを教えなければ意味がない。それは、非常に微妙な調整を必要とする、ある種の職人芸だ。そんなところが、教える側の大きなやり甲斐ではないかと考えている。(P89-91)


現任者の方で、新人、後輩の教育に携わっている方々は、この一文を読んでどのようなことを思われたでしょうか?

「教える時に肝心なことは、教わる側が何がわかっていないかを、教える側が素早く察知することだと考えている。」


「相手のレベルに合わせて、相手が必要としていることを教えなければ意味がない。それは、非常に微妙な調整を必要とする、ある種の職人芸だ。」


 以前のエントリでも記しましたが、ソーシャルワークの領域は、このことを軽視している気がするのです。


「見て真似ろ。盗め。」という言葉たちには罪はありませんが、その言葉を「教育的機能」を有していなければならない立場の人間が使うとしたら、自身の怠慢を恥じるべきではないかと思うわけです。


というのは、本来であれば、羽生善治氏が述べているような「教える・教育的機能」を得ることは、自分の仕事の仕組みを体系化し伝えるという行為により、現任者にとっては自身のスキルを向上する一助になるはずなのですから。


もちろん、「教えを請う側」が「教えてもらう前に自分で考える」ことが大事なのは言うまでもありませんが、「教える側が持つ機能、役割」について考えることは、ご自身の仕事を長く続けていく上で、大切なことだと思っています。


「大局観」著:羽生善治氏
○目次
第一章 大局観
 1 検証と反省
 2 感情のコントロールはどこまで必要か
 3 リスクを取らないことは最大のリスクである
 4 ミスについて
 5 挑戦する勇気

第二章 練習と集中力
 1 集中力とは何か
 2 逆境を楽しむこと
 3 毎日の練習がもたらす効果
 4 教える事について
 5 繰り返しの大切さ


第三章 負けること
 1 負け方について
 2 記憶とは何か
 3 検索について
 4 知識とは
 5 直感について
 6 確率について
 7 今にわかる

第四章 運・不運の捉え方
 1 運について
 2 ゲンを担ぐか
 3 スターの資質
 4 所有について

第五章 理論・セオリー・感情
 1 勝利の前進
 2 将棋とチェスの比較
 3 コンピューターと将棋
 4 逆転について
 5 ブラック・スワン
 6 格言から学ぶこと
 7 世代について





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