アウトリーチ?
公開日: 2010/08/01 MSW
当院は300床未満の2次救急の病院で、患者は隣接する3区の方がほとんどです。家族、親族みんなで当院がかかりつけなんていう人も非常におおいわけです。
今年になり、ご夫婦共に入院をしているというケースを3件担当しました。
同時期に夫婦共に入院をしていたり、時期がずれて入院をしてきたりと様々ですが、ここ最近の自身のテーマである「MSWが社会資源としてどう地域に位置づくべきか」ということの気づきを与えてくれ、多くのことを考えさせられたケースでもありました。
医療機関においては、危機介入的な部分に加え、加齢や疾患によってその人たちの生活に生じる(もしくは生じることが予想される)諸問題に対するアセスメントが必要になってきます。
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以前に関わったケース
末期がんで(手術の適応にならず)抗がん剤治療を開始した本人
同時期に慢性硬膜下血腫で入院してきた配偶者
今まで介護保険等のサービス利用は無。
元々脳血管性の認知症があった配偶者。
生活上の意思決定、家事等を全て行っていた本人。
本人は2Wに一回、化学療法のため2,3日入院をする。
その間、配偶者は独居状態になる。ADLは屋内自立。
慢性硬膜血腫で入院をしたのは、本人が入院して独居状態の時。
そのエピソードを考えると常時とはいかないまでも、1日に何回かは誰かに確認をしてもらう必要がある。(介護保険内でまかなえない部分)
退院前に、本人、家族と地域で関わってくれる人たちと
家族から電話をかける。
近所の人に新聞配達のお兄さんに手渡しをしてもらう。
生存確認の目的も兼ねて配食サービスを利用する。
キーボックスを配置していざというときに誰かに家に突入してもらえるようにしておく。
みたいな案で本人不在時の体制を敷いて自宅退院をされました。
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生活の変化に伴い、社会資源の活用方法が現状に適したものかどうかということを確認する必要があります。(プラン→再アセスメント)社会資源の数は変わらずとも、組み換え方、カスタマイズの方法を考えることにより、その人の現状に適したサポート体制を敷くことができるのだと思います。
ここまでは、基本的なところなのですが、以下が自分の問題意識を掻き立てる部分なのです。
治療を継続しながら、高齢二人暮らしの主軸となっている本人の病状の変化。
認知症、ADLの低下が予想される配偶者の変化。
本人の病状が悪化し、在宅生活が困難になるかもしれない時期がいつかくる。
その際、配偶者の生活はどうなるのか?
その時、本人はどうしたいと思うのか。
配偶者はどうしたいと思うのか。
家族はどうしたいと思うのか。
上記は、そう遠くない時期にやってくる。
その時、その人たちに関わる医療機関、地域の専門職に「何ができるか」
その人たちの生活が継続していけるよう、その時々に生ずる生活上の困難に対して、サポートをしていくことは必要。でも、各機関の専門職が自分たちの持ち場だけを守るので成し得ないことがあるように思ういます。
「どうしたいのか」の根っこには「どう生きたいか」というその人の証みたいなものがあって、本人、家族に関わる人たちの中で、今後予想される諸問題に対しての見解を一致させる過程を経ることで、誤解を恐れずに言えば、医療、地域の専門職たちが、エンドステージにいる方たちの「ああしたい。こうしたい」というニーズを包括する「その人たちがどんな生き方で人生を終えたいと考えているか」という根源的なニーズに対しての共通認識ができるのだと思います。
地域の各専門職たちに上記のような共通認識があったとしても、それが医療機関のスタッフとも共有されることは少ないように思う。これは自分たちMSWの怠慢なのかもしれないと最近よく思います。(自分が出来ていないだけかもしれませんが)
「その人たちがどんな生き方で人生を終えたいと考えているか」という根源的なニーズに対する共通認識のもとに、その人たちに関わることのできる医療機関・地域を含めたチームが出来たなら、様々な変化に慌てふためくことなく、腰を落とし、準備をした上で、その人たちの「生き様」に関われるのではないか?
MSWに橋渡し的役としての役割が求められるとしたら、それは単に退院援助だけではないと思うのです。橋は両端から渡ることができる。片側からだけ渡って役割が終了ならば、それは橋渡しとは言えないと思うのです。
そのあたりに、「MSWが社会資源としてどう地域に位置づくべきか」という自身の問題意識が絡んできているように思え、4年目の今年は、その問いに対する自身の実践を考えていきたいと思う今日この頃です。