職業人としての核となる”立ち戻る原点”を言語化できることの意味について〜児童相談所の児童福祉司さんの話から〜

公開日: 2015/02/07 思索 児童福祉司



児童相談所の児童福祉司さんの話をお伺いしてきました。


児童虐待ケースへの対応で、「措置」という権力性を有した構造のもとソーシャルワークを行うこと(親権を停止し、親から子どもを引き離し施設へ入れることもあるのです)そして、常に危機介入に備えなければならない現場(1日自宅訪問するのを遅らせたら、子どもに何か起きるのではないか?という思考が常にある)であることなど、非常に負荷の強い現場だと改めて思いました。


その方がなぜこの職業を志したかをお聞きした際に、とても言葉が滑らかなので、「なぜストーリーとしてキレイに語れるのですか?」とお伺いしたところ、学生時代に、実習、国家試験を受ける際、大学の先生からかなり厳しく詰められ、「ただ単に資格がほしいレベルくらいでは、実習も試験も受けさせられない!」という攻めがあったとのこと。


それによって、なぜ福祉に関心をもったのか、何に興味があるのか、そこに紐づく原体験も含めて、言葉にすることができたとのこと。


そして、それが、現場で困難にぶちあたったときに、振り返り,立ち戻れる原点になっているとのことでした。

その話をお聞きして、自分の職業人としての核となる部分を言語化できることの意味について、”立ち戻る原点”ということのほかに、評価基準のない、正解の無い現場において、少なからず援助者の自己効力感を得ることに寄与しているのかもしれない、と思いました。


そして、それは援助者のバーンアウト防止に一定の効力があるのではないか、とも。


意味を見出だせない仕事は、人を疲弊させます。
明確な評価基準が存在する仕事は、用意された物差しが、よくもわるくも意味を与えてくれます。

意味が与えられないのであれば、意味を見出だすしか無いわけですが、「意味の見出だし方」にも、方法論があってもよいのではと思うと共に、そこに「語り」が大きな意味を持つのではないか、と思わされた,そんな一日でした。


子育ての合間を縫って、語りを聞かせてくれた児童福祉司さんに感謝です。

(語る、って体力がいるんですよね。日々、クライエントに語りを求める立場にいるのであれば、語ること自体が、知力も体力も使うんだ、という実感を得ることも、援助者として大切なことかなと思っています)







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