他者の何げない一言に救われるという経験についての回想
わたしは、中学時代、入院をし、退院後、一時期カツラをかぶって登校していました。
闘病による副作用で一時的に髪の毛が抜けてしまっていたのです。
退院後、中学校にカツラを被って登校する毎日。
被る角度が気になる。風が気になる。
そして、カツラのもみあげ部分ががどうしても浮いてしまう。
ドライアーで熱風を当てても、子憎たらしく浮遊するもみあげたち。
毎朝、セロハンテープでもみあげの部分を皮膚に密着させようとトライするのですが(笑)、ちょっとでも汗ばむともみあげ部分が浮いて不自然になってしまって、本当に困りました。
毎日毎日、会う人全員の視線が頭部に集中しているように感じて、本当に心が折れそうでした。やっとこさ、社会復帰したというものの、ズラを標準装備して社会復帰をしなければならない事態になるとは想像もしていなかったので、学校に行ける喜びよりも、カツラで外出することのツラさのほうが思春期の男子には痛手となりました。
同級生でもヅラを遠回しにネタにする奴らもいて、
本当に将来全員禿げてしまえ!と心の中でよく唱えていました(笑
そんなヅラライフにもいやが応にも慣れ、産毛がちゃんとした毛になり、五分刈りくらいまで伸びてきた頃のことです。
どうにも五分刈りたちがカツラを底上げし、もみあげ部分に留まらず、ヅラが空中浮遊している状態になってきたころ、もう、どうにもバレているのだろうと思い、カツラを外し登校することを決意します。
空中浮遊するカツラとの決別。
14歳男子、新しい朝を迎えての登校でした。
新しい朝は、思った以上に清々しいものでした(注:頭部のみ)
ですが、頭部の爽快感とは裏腹に、人の目がいつもの何倍も気になります。
もうどうにでもなれ、と教室のドアをあけた瞬間、クラスメイトの視線が私の頭部に一点集中しました。当時の私は頭部への視線に異常に敏感になっていたので、すぐにわかりました。
この空気、どうしよう…
何か言っても変だし、何も言わなくてもそれはそれで気まずい…
どうしよう。誰か助けて、ヘルプミー。
全てがスローモーションのように、クラスメイトひとりひとりの視線が確認できるくらい、ゆっくりと気まずい時間が流れていくのがわかりました。
「あ!HY、髪切ったんだ!短いのもすごい似合ってるじゃん!」
突如、教室中に響き渡る、元気はつらつな明るい声。
教室内に漂う微妙な空気を打ち破ってくれたは、とある女子の一言でした。
彼女はそう言うと、人差し指を一度二度左右に振りながら「イエイ!」とオチャラけて、女子同士の会話に戻っていったのでした。
その一言で、クラスメイトたちからの私の頭部への視線は消え、私はとても安堵感を感じ、同時に、なんだかとても彼女の一言が嬉しくて、優しい気持ちになったのを覚えています。
「あ!HY、髪切ったんだ!短いのもすごい似合ってるじゃん」
空中浮遊しはじめていたヅラを装着しつづけていた14歳男子を前にして、彼女が日々何を思い、そして、ヅラを外した14歳男子に対して、彼女が発したその一言に、どんな意図が込められてたいのか、彼女がどんなことを考え、その一言を発したのか。
今になって振り返れば、彼女の優しく気遣い屋の性格が言わせた一言だったのかもしれないな、と思いますが、あの一言から14年が経った今もまだ、わたしはその真意を確認できずにいます。
きっと、今更、その意味を彼女に問うてみても、「覚えてないよ〜。そんな昔のこと」と言って誤摩化すでしょうし、もしかしたら、彼女の心根が言わせた一言だったかもしれないな、と想像したりしては、「あの一言の真意」を聞かないでおくことで、自信自身が救われてきたのかもしれないなとも思うのです。
さりげない一言が、誰かを救うことがある、
ということを人生で初めて感じた、14歳の出来事でした。
今でも彼女には感謝しています。
勇気がなくて、あの一言の真意は聞けずにいますが、
どこかで聞かなくてもいいんだ、と思っている自分がいます。
あのとき、あの一言に救われた自分がいた。
その思いだけがあれば十分なのです。
ふとした一言に救われたと感じたとき。
相手の意図や真意に関係なく「救われた」と感じた瞬間に、
それは救われた思い出になる。
だから自分も、日々のふとしたなかで、
誰かにそんな瞬間を与えることができていたら、とても嬉しいなと思うのです。
わたしはこのような原体験を経て、
汚い言葉や自分の手に馴染まない言葉を使うことを止めました。
ふとしたとき、意識もせず、言葉というのはその人間の本性や本音を漏れ出させます。
日々口にする言葉は、その人自身を形作る。
わたしはそう思うからこそ、言葉をどのように扱い、付き合っていくか、
ということをいつも考えます。
自分の心が荒んでいるのであれば、
自分が使う言葉を見つめ直すことで、
その荒みを取り去ってあげることができるかもしれません。
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