「あなたのため」という言葉がもつ暴力性についての省察〜インクルーシブ教育者の野口晃菜さんへのインタビュー記事から〜
公開日: 2014/06/28 CW MSW 教育 思索 連携
昨年知り合い刺激をいただいている、インクルーシブ教育者の野口晃菜さんへのインタビュー記事より。『他の子と同じタイミングで同じことができないっていうだけで、学校に行くことが怖くなってしまって、学校に行けなくなる。そういう子メチャクチャたくさんいるんですよ。ただ、先生たちは「あなたのためよ」って言って無理やりやらせるんですよ。その子の未来を考えたときに、今、自己肯定感が低下したら意味ないでしょって思うんです。 』
(インタビュー記事から抜粋)
本当にそうだなあと思う。
他者(大人)が自分(子ども)に対しては放つ「あなたのためよ」という言葉がもつ射程距離と想像力について、考えさせられたインタビュー記事でした。
この記事を読んでいて、ふと、「あなたのためよ」ってある種の暴力性を伴う言葉だなあと思ったのです。典型的なパターナリズムだな、とも。
他者(大人)が自分(子ども)に対しては放つ「あなたのためよ」という言葉がもつ射程距離と想像力について、考えさせられたインタビュー記事でした。
この記事を読んでいて、ふと、「あなたのためよ」ってある種の暴力性を伴う言葉だなあと思ったのです。典型的なパターナリズムだな、とも。
あなたのためって表面は善意に満ちあふれているようなんですが、その根っこには、以下のような暴力性が隠れていることもあるのかもしれないなと想像しました。
”「あなた」は「わたしの想像力」の範疇にある存在なの。
だから、わたしにはわかるの。だから、そうしなさい。
「それが、あなたのため、なのよ」”
これは決して子どもだけに限らず、援助と称される場面全てにおいて言えることだなあと思うのです。だからこそ、現場での実践をやりっ放しにすることは許されず、省察が必要なのだとも。
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