「情報の非対称性という構造が生む、クライエントと援助者間の思考過程の違い」について考える

公開日: 2013/09/29 MSW キャリアデザイン 教育 思索



本エントリでは「情報の非対称性という構造が生む、クライエントと援助者間の思考過程の違いについて考える」と称し、考えるところを述べていきたい。




対人援助職がクライエントと築く関係性とは、「”非”日常性かつ、特定の目的を有した関係性」である。 
「”非”日常性」というのは、物理的な場の制限等、コミュニケーションが生じる際の「条件/制限」があり、それが揃わないと、コミュニケーションが発生しないということ。 
「”非”日常性」という、コミュニケーションが両者に生じる際の「条件/制限」が、人に安心を与え、自己開示や発露させやすくなるという「構造」のもと、対人援助職は仕事をしている。 
この場合の「特定の目的」は言わずもがな、「生活上に生じる問題・課題等で、クライエント、もしくはクライエントのもつネットワーク内で解決が難しいものを、軽減したり、解決する」という目的である。


上記、「構造」と称した「”非”日常性」の他に、「情報の非対称性」が存在する。


2012年に記したエントリソーシャルワーカーと患者さん家族との間に生じる非対称的な関係性について考える」において、以下のように述べている。


医療機関に勤めている同業者から時折、「白衣は権威性の象徴だから、ソーシャルワーカーは白衣を脱ぐべき、ユニフォーム、私服でよいのでは」などという声を耳にすることがあります。

これは「援助者とその対象者という構図」にある非対称的なソーシャルワーカーと患者さん家族の関係性を「同じ目線」で構築していくために、権威性の記号(白衣のような)が少しでもあるものは取っ払うべきだという論拠からくるものです。

私自身も、上記については特段異論はありませんが、かといって白衣などのビジュアルイメージが与えるメッセージがどこまで、非対称的な関係構築に影響を与えているのかはわかりませんし、単純に、白衣=権威性の記号=非対称的関係性という等式が導かれるとは思っていません。

本エントリでは、「ソーシャルワーカーと患者さん家族との間に生じる非対称的な関係性について考える」と題し、そもそも、ソーシャルワーカーと患者さん家族の関係性が「非対称的である」ということを前提においた上で、それをどうほぐし、解体してくべきかということについての個人的な考えを記していきたいと思います。
(続きは、上記リンクから)



「関係性構築の前提として存在している構造」に目を向けることは非常に重要なことだ。「構造」はゲームでいうところのルールであり、ルールを知らないと、そこで起きる事実に対して、正確な理解に近づくことが難しくなる。


前置きが非常に長くなったが、上記を踏まえ、「情報の非対称性という構造が生むクライエントと援助者間の思考過程の違い」について考えてみたい。


1.情報の非対称性は、「見通し」、「根拠の薄い想像」という差異を生む。


情報の非対称性という構造が生むクライエントと援助者間の思考過程の違いについては、主に以下のように表される。



・対人援助職   :事実→見通し→逆算思考
(ゴールに向けての計画を立て、物事を進める)

・クライエント:事実→根拠の薄い想像→順算思考
(目の前のことに対処しながら、物事を進める)



「見通し」と「根拠の薄い想像」
この両者の違いを決定付けているのが、「情報の非対称性」だ。


2.「見通し」は「逆算思考」を生む。


ある程度の経験を有した対人援助職であれば、事実から見通しを立て、ゴールから逆算して援助の過程をイメージが出来る。

「見通し」ができるからこそ、逆算思考が可能になる。
「見通し」は、”援助者が経験した過去のケース”とそこから得た”ケースを捉える枠組み”があってはじめて為すことができる。


「見通し」の有無が、援助者とクライエントの間にある違いであり、それにより、「逆算思考」か「順算思考」の違いが生じている。



3.はじめてのことを経験するとき、人は誰しも戸惑ったり驚いたりする。


「逆算思考」か「順算思考」の違いについて、
例えば「料理」をもとに考えてみる。


「今まで100回作ったことのある料理」
「食材自体も見たことがない初めてつくる料理」


両者の間に存在するのは、以下の3つだ。


「食材自体を知っているか否か」→情報があるか。
「過去につくったことがあるか否か」→過去に対処した経験があるか。
「手順がわかるか否か」→見立てが立つか。


情報の非対称性が、「見通し」と「根拠の薄い想像」の違いを生む。
「見通し」と「根拠の薄い想像」が、「逆算思考」か「順算思考」という思考過程の違いを生む。


はじめてのことを経験するとき、人は誰しも戸惑う。
それは、過去の経験を引っ張りだしても、情報が存在せず、それ故、対処するための方法がわからないからだ。

情報が存在せず対処法がわからない場合、人は「可能な限りの情報を得つつ、目の前の出来事にひとつひとつ対処していく」という策をとる他ない。


この、当たり前すぎる構造が、対人援助職とクライエントの間には、多くの場合存在している。そのことに自覚的であれば、自覚的でないよりはずっと、クライエントの為す行動に対する理解に近づける。私はそう思う。



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