ソーシャルワーク言語化の原体験を与えてくれた存在

公開日: 2013/08/27 MSW 思索




大学時代の恩師とお会いする約束が取れた。


きちんと対面で話をさせてもらうのは2年ぶりなので、今から緊張している。
電話にて、近況と最近始めた活動について話をしたい旨を伝えたところ、
「あたらしいことをはじめる余裕が出てきたのね」と一言。



学生時分から、恩師に対し感じていた、優しさと、怖さ、畏敬。
その正体を、未だに言葉にできないでいる。でも、言葉にできないでいることこそが、恩師を恩師だと仰ぎ続けることを自分に許している気がして他ならない。


19歳の時に、小児科の病院で団体を立ち上げたときも、バックアップしてくれたのは恩師の先生だったなあと思い出すとともに、あれから10年経った自分が起こそうとしている人生で2つ目のソーシャルアクションに、先生がどんな言葉を口にされるのかが、正直、怖い。


怖いのは、きっと、先生に認めてもらえるだろうかとか、そういうことを、矮小な自己が気にしているからなのだろうなと思うとともに、やはり、それだけ、自分にとって、先生が大きすぎる存在であるということに気づかされる。


今に至ったきっかけは、卒業式の日に恩師から頂いた高級な牛革のノートと、同封された手紙に書いてあった


「仕事をはじめて、感じたこと、考えたりしたことを書き残しておくと、きっと未来の自分にとって役に立ちます。」


という言葉だった。


その言葉が、自分の「ソーシャルワークの言語化」の原点だったから。

その教えをまもり、ずっと7年間、言語化することを続けてきた結果が、今だから。

先生は、何かこうなることを、わかっていたのかもしれないとさえ、思ってしまう。



上記に対する、感謝の言葉を先生に伝えること無くして、人生2つ目のソーシャルアクションをすすめていくことはできないな、と思っている。



まずは、それを果たそう。




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