仕組みや機会を創り出すことの自分にとっての意味について考える

公開日: 2013/07/16 MSW 思索




ソーシャルワーカーとして、それなりにどんな現場でも稼働できる力を得つつ、いずれ、いろいろな仕組みづくりをする方に軸足を移動させていくのだろうなと、最近根拠も無く感じている。


仕事に不満はないし、他職種の人ともよくしてもらい、ストレスも無い。
でも、何かがひっかかる。

最近、相手が誰かにかかわらず、心からの笑顔に出会うと、心にさざ波が立つような感じを覚えるようになった。嬉しいけれど、なにかがひっかかる、心がかゆいようなそんな感覚を覚える。


理由ははっきりとはわからない。


それは、そこに立ち会えた自分が嬉しいと思うからなのか。
それとも、この笑顔は、自分ではなくても、きっとそこに、存在することが予定されていたのかもしれないな、と思うからなのか。


そんなことを思いつつ、10年前に「ああ、自分は運がよかったんだな」と思った日のことを思い出す。


「運が良かった/悪かった」の一言で済まされてしまうほど、人の人生っていうのは単層ではないと思う。そう思い生きてきた。


仕組みや機会をつくりだすことは、今日、どこかで、誰かが思う「運が悪かった」という、自身の境遇を単層に落とし込むことを防いでくれるかもしれない。

そして、それは、そう思った人がやるべきだ。

偽善でも勘違いな使命感でもいい。
いつまでも、そういったものに、突き動かされることのできる青臭い人間でいたいと思う。



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