問いから言語化に至るプロセスについて考えるvol2(過去エントリを材料として)
公開日: 2013/04/29 MSW 思索 問いから言語化に至るプロセス
前エントリでは、2009年に記した「揺れに付き合う」というブログエントリをもとに、「問いから言語化に至るプロセスについて考えるvol1(過去エントリを材料として)」と称し、
気づく→問いを生む→問いについて考え、言語化する。
というプロセスについて解説をさせていただきました。
その上で、日々の、小さな気づきを、問い生成ボックスに放り込み
熟成させ、できた問いに向き合うことで、「言語化される」それこそが、実践知(暗黙知)を言語化することなのだと
思う、とお伝えしました。
本エントリも引き続き、過去のブログエントリを引き合いに出し、
上記エントリを転記しますと長くなりますので、
もしよければ、実際にリンク先から一読いただければと
思います。
このエントリは、以下のふたつの気づきから生成されています。
【最初の気づき】
・ソーシャルワーカーとしての自分が、初回面接において
クライエントに「値踏みされている時間」があるのだという気づき
・消費者として、サービスを受ける際、
サービス提供者の言動から、自分がその提供者の
「どこを、どう見ているか(どのように値踏みしているか)」という気づき
この2つの気づきを材料として、問いを生み出すための
新たな気づきを「問い生成ボックス」に放り込んでいきます。
【新たな気づき】
■「値踏みする・される」ということは、
「サービス提供者、サービスを受ける側」
という関係性において、必ず存在する。
■「値踏みする・される」行為は、他者との信頼関係を
構築する上で、必要なプロセスである。
■「値踏み」=「信頼関係構築の入り口」
■関係性には「介在するもの(目的)」がある。
経済活動:「売る、買う」
対人援助サービス:「生活上の諸問題の解決」を目指す。
■■【上記気づきから生成された「問い」】
「値踏みする時間」は、「サービス提供者、サービスを受ける側」という2者関係において、必ず存在するが、『「信頼関係」が何のために必要か』ということは、「関係性が何のために築かれるものなのか」という「目的(介在するもの)」により、異なるのでは?
上記の問いについて、
(以下、上記リンク先より転記)
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3.ソーシャルワーカーとして「値踏み」されているということに気づこう
「ソーシャルワーカーは患者さん家族の言葉、表情、声の大きさ、トーン、雰囲気、服装などの、ノンバーバル(非言語)のメッセージからいろいろな情報を読み取る」などとよく言いますが、それと同じように、いえ、もしかしたらそれ以上に、患者さん家族も、ソーシャルワーカーを見て、感じて、その人がどんな人かを推測して、「この人は少しでも信頼できそうか」ということを値踏みしているのだということを忘れないでいたいと思います。
ひとりの人間を、ソーシャルワークの援助の対象とした瞬間に、ひとりの人間であり、生活者であるその人が、途端に援助を受けるだけの「患者さん家族」と定義され、その定義により、他者とのコミュニケーションにおける基本的で当たり前なことが、専門用語に置き換えられる(まずは患者さん家族との信頼関係形成を、というふうに語られるように)というのは、あまり好ましくないことのように思うのです。
まずはソーシャルワーカーとして、「患者さん家族との信頼関係形成が大切」と言葉にする前に、人と人の間に築かれる信頼関係というものが、日常生活において他者とコミュニケーションをする際に、どのような要素によって形成されたり、深まったり、はたまた崩れたりするのか、ということを考えてみることは、最低限自分に課すべきことであるのかなと思っています。
そうでないと、援助関係における信頼関係の構築と、日常生活圏における他者との信頼関係の構築との違いを、自分の中で整理することができなくなってしまいます。
「ソーシャルワーカーと患者さん家族間の援助関係における信頼関係の構築」「日常生活圏における他者との信頼関係の構築」
上記の二者の間には、明確な差異があります。
自身の中でそれを整理するための簡単なトレーニングとして、例えば「自分が親や恋人や友人を信頼していると感じるとき、その理由はどんなものがあるか」ということと「世間一般で専門職と呼ばれる人に対して、信頼していると感じるとき、その理由はどんなものがあるか」ということを書き出して、比較してみるといいかもしれません。
世に出ている教科書や、書籍は上記のようなことは教えてくれません。だから自分で考えて、気付くしかないのです。
「患者さん家族との間に信頼関係(ラポール)を築く」
この一文は、個々のソーシャルワーカーが皆、実践に引き付けた言葉で語れなくてはならない一文だと思います。
(リンク先からの転記、ここまで)
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冒頭の2つの気づきを組み合わせることで生まれた、新たな気づきの積み重ねから生成された「問い」について、最後に自分自身の考えを記すことで、ブログエントリ「値踏みされる時間が教えてくれたこと」は構成されています。
気づくこと。
気づきの組み合わせで、新たな気づきを生み、
「問い生成ボックス」に放り込んでおくこと。
そして、「問い」が生まれた時に
その問いに対して、自分自身の考えを言語化すること。
上記プロセスについて、2回に分け、
私自身のブログエントリを材料に
お伝えをしていきました。みなさんが考えを文章化される際の一助になれば幸いです。