「まずはクライエントの不利益にならない」という自覚をもつことについて考える

公開日: 2012/12/14 MSW 思索

この仕事は「感情労働」の比重が大きい、というのは同業者の方であれば、誰もが頷いてくれることだと思います。

ソーシャルワーカーは、日々、自身の「感情」を吟味し、それを意図的にクライエントへの援助過程に活かし、組み込んでいくこと(「ケースワークの原則」でいう「統制された情緒的関与」)を試みます。


その中で、私は「好調」「不調」というような援助者の感情による感覚が、クライエントにどのような影響を及ぼすのかということについてよく考えます。


絶好調と絶不調の振れ幅をどれだけ少なくできるか。
そのコントロール方法をきちんと持っている人を私は尊敬しますし、自分もそうでありたいと思います。要は「ムラっ気」ではなく「安定感」を身にまとうことを大切にしたいのです。


というのは、人は怯えたり、不安になったり、何かしらの「不安定」な状況下にて、自身に向けられるメッセージに敏感になるということにソーシャルワーカーは自覚的であるべきだと思うからです。


感情は丁寧に扱わないと、容易に人を 傷つける凶器になり得ます。


上記のような自覚をもつことで、「まずはクライエントの不利益にならない」ために、感情に任せた「好調」「不調」の振れ幅をコントロールする術を学ぶ必要がある、というところに思考を移すことができます。



ソーシャルワーカーが出会うのは色々な意味で不安定な状況下にある人です。
だからこそ、ソーシャルワーカー自身が発するメッセージを俯瞰的に見ようと試み続けることが大切なのだと思うのです。


ソーシャルワーカーがクライエントを「専門家」ぶって観察している以上に、クライエントはソーシャルワーカーのことを「みている」のだ。

それくらいに考えていたほうが、色々と気づくことは多くなり、自覚的になれます。


そしてその「自覚」は専門性というアクセルを無意識で踏み込むのを防ぐための適度なブレーキにもなるということ。「無自覚で感覚的に踏み込んだ専門性というアクセル」によって、クライエントの利益を損ねないために、俗にいう自己覚知というものが大切になるのだと思うのです。


クライエントにとって、「専門職との出会い=プラスの連鎖のスタート」と言い切れるわけではないのです。そうであってはならないのですが、その危険性について、ソーシャルワーカーが自覚的でないと「マイナスを生まない。不利益を生じさせない」という意識が芽生えません。


自分も含め、ソーシャルワーカーたちは、専門職と名乗った瞬間にそれに相応しい「態度・言語のセット」を身に纏おうとします。それは悪いことではないし、そうでないと現場で戦い続けられないのは確かです。


大切なのは、自分が用いているものが、『感情による「好調」「不調」の振れ幅をコントロールする術を得なければ運用が難しい態度・言語のセットである」ということに自覚的であるかどうか、ということなのだと思うのです。


志高く現場で奮闘するソーシャルワーカーの誰ひとりとして、クライエントに不利益を及ぼそうと思ってはいません。


でも、だからこそ、物事には表裏、陰明があるように、ソーシャルワーカー自身の振る舞いや言動などのクライエントへのメッセージ性の裏側を、ときに点検し、クライエントに不利益を生じさせない、という自覚を再確認するべきだと私は思っています。


【参考書籍】




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