ソーシャルワークと言葉について考える

公開日: 2012/11/10 MSW 思索 自分史

ソーシャルワークと言葉について、自分の背景も含めて考える。


俗にいうアイデンティティの危機に瀕していたハタチの時、

「成長」を「昨日とは異なる言葉で、自分の大切にしている事柄に対し
新しい表現を得られたとき」と定義してから、8年が経った。


今、ひとつ言えるのは、その定義は、

「生きていく上でのしあわせを得るハードルを低く設定する」
という自分にとっての生存戦略であったのだな、ということ。


そして、幸か不幸か、ソーシャルワーカーとして、現場に立つ上で
その弱気な生存戦略が、活きて、自分を助けてくれていると感じている。


日々言葉の森から、選んだ言葉を、薪のように

「成長」という定義の暖炉に投げ込み、
そこから、新しい表現を得て、それを、
自分自身の職業的屋台骨に組み込み、
ときに、組み直して、その繰り返しで、
職業的な価値観を積み上げてきたように思う。


これは言わば、自己再生的な生態系で、
外部からの燃料(評価)を必要としないシステムなんだな、と。


このサイクルが崩壊しない限りは、
きっとこの仕事を続けていけるのだと思う。


でも、なんだか、釈然としないのは、なぜだろうか。



この領域は、言葉を扱い、言葉で仕事をする。
でも、言葉が、軽んじられているようにも思う。



そう感じるのは、なぜだろう?



この仕事の価値は、数値化できない。
絶対的な評価の物差しで図れないからこそ、
誰かが与えてくれる物差しで、自分の仕事の価値を図るのではなく
個々のソーシャルワーカーが、自分の仕事の価値を図る物差しを持つことができれば
もっと、この仕事を、おもしろく、やっていける人が増えるのにな、と
個人的には思う。



自分の仕事の価値を図る物差し=自らで得た言葉 なのだと思うからこそ
改めて、言葉について問い、言葉について考えようと思うのだろうな、と。




このことを、同業者に、どう伝え、どう共有し、
どう一緒に言葉を創り上げていくか、ということを、この1年、考えている。
そんな問題意識をもって書いている。




答えはまだ、出そうにない。
でも、楽しいから、よしとしよう。




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