論理表現のレッスン
公開日: 2010/06/05 読書記録
以下上記著作より抜粋
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問うという行為は、議論している話題または問題をその問いがもつ枠組みでくくろうとする行為、またはその枠組みで問題がつかまるはずであるとする態度表明でもあります。
問いと答えは一般に対になっています。
ですから、問いの仕方自体がすでに答えの出し方や答えのあり方を限定していることになります。
その問いがどんな枠組みで世界を切り取ろうとしているのかは自分で強く意識できていない状態で相手に問うことをすると、こんどは相手からその「問い」の意味について聞かれる可能性が生じます。
その相手からの問いに十分答えられるだけの準備が、問うことには要求されるのです。
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大学時時代に卒業論文を書く際に読んだ本だったのですが、今改めて読んでみると、患者さん家族との面接において、はたまた他職種、他機関とのコンサルテーション時に「論証をする」ということは非常に大事なことだということに気づきます。
面接において「なぜ」という付箋を付けながら患者さん家族の話を聞いていく中で、付箋の付け替えや、主訴の根拠となるものを探りながら話を聞くという行為は、いわば絶えずその人の話を論証し続けているとも言えるのではないかと思います。
「エビデンス」と言われて久しいですが、そもそも「根拠を求める・探る」ということについての方法論を持つことなく「エビデンス」を語ることはナンセンスのように思うのです。
日々勉強。現状に満足することなく新たな知見を追い求め生きていきたいものです。