社会福祉領域の学術・研究が現任者たちからスルーされ続けるたった1つの理由
「え、なに、このテーマ?わたしたちには関係ない…。何の意味があるの?」
「この論文って何の役に立つの?結局自己満足じゃないの?」
学術・研究というのは、本来、その領域や社会をより良いものにするために欠かせないはずのものですが、ソーシャルワーク領域における「学術・研究」に対する現任者たちの”目”に、わたしは、冷ややかなものを感じます。
「なぜ、その学術・研究が必要なのか?」
「誰のために、何のために、なぜ、あなたが為すべきなのか?」
この問いに答えるに耐えない学術・研究は、真に社会に対して価値を提供でき得るものにまで昇華できないのだとわたしは考えています。
社会福祉領域の学術・研究領域が盛り上がらず、現任者たちからスルーされ続ける理由は、「学術・研究領域のソーシャルワーカーたちの研究結果(と、それに伴う知識と技術とネットワーク)の公的使用」を可能にする流れと、そのプラットフォームが存在しないだからだと考えています。
一般社団法人日本社会福祉学会 会長 白澤 政和(桜美林大学大学院)先生も以下のように述べてらっしゃいます。(認定社会福祉士制度と学会の役割より)
【先生のブログはこちら:ソーシャルワークのTOMORROWLAND(編集者さんにブログばかり書いていないで原稿下さい!と言われお止めになったとかならないとか…笑)】
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ここでの研修に携わる研修実施者が、自らの研究成果は当然であるが、他者の研究成果も習得して教育がなされない限り、優秀な人材養成にはつながらない。
日本社会福祉学会には、社会福祉研究を進める代表学会として、学会誌や学会発表での成果だけでなく、社会福祉研究で明らかになったエビデンスをデータベース化して、研修実施者が活用できる仕組みづくりをしていく責務があると考えている。
これは、今後の社会福祉学の大学院教育を推進していくうえでも必要不可欠なことである。また、これなしには、研究成果を積み上げ、社会福祉学全体として研究を蓄積していくことも難しいといえる。
(赤字はHY独自の判断による)
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上記の白澤先生のご指摘、ごもっともだと思います。
現状、社会福祉領域の学術・研究は、いわば、学術誌の中で、
こじんまりと消費されていくだけのコンテンツ化してしまっているのです。
学術・研究領域の人間の中だけで、消費され、
”閉じられ”、学術誌の外に飛び出せずにいるわけです。
これでは、学術・研究領域のソーシャルワーカーたちの研究結果(と、それに伴う知識と技術とネットワーク)の公的使用は難しくなります。
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修士論文への協力要請(インタビューとか)などを頂くときにいつも思うのは、
「研究協力者募集システム」のニーズと、それを早急につくるべきだということです。
WEB上で、研究概要、意義、業界へのインパクトとか、諸々書いて募集し、無反応なら「論文じゃなくて自由研究にしなさい」というに等しい、シニカルで公平な「研究協力者募集システム」が、私は必要だと考えています。
逆に、この研究は非常におもしろいぞ!という感じで盛り上がれば、「研究協力者募集システム」内外で話題を呼ぶでしょうし、クラウドファンディング的ノリで、「俺の研究!」っていう感じで募集システムに掲載し、研究協力者と資金を集めることも可能でしょう。
研究の主が追加情報とか、研究途中経過とかアップしたり…
私はいずれそういうをつくります。
というのは、研究者として、「なぜこの研究が社会に対して必要なのか」ということを、あらゆる手段を尽くして社会に伝えていく、とうこともまた研究者の責務だと思うからです。
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「ソーシャルワーカーとしての○○について」等のテーマは修士論文にするに値するのだろうか。これは自由研究ではないのか?業界に対して、そして社会に対してどのような意味をもち、どのような価値を生み出すのか。そういった「問い」を出発点として置かない研究は、学術・研究に対しての冒涜であるとさえ思います。その問いにこたえられないなら、自由研究レベルで十分でしょう?
私の肌感覚ですと、「ソーシャルワーカーとしての○○について」等のテーマは、単に主語を「自分」→「ソーシャルワーカー」にすり替えているだけのものがすごい多いと感じます。(まあそれに自覚的で、金払って修士を取りたい人はそれでいいと思いますし、批判もしませんが)
自分のために書く論文が許されるのって学部論文までだと私は思います。
客体化できないテーマは修士論文のテーマ足り得えないでしょう。
それなら、自宅でやる自由研究で十分です。
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「対人援助職領域の研究協力者募集システム」を通じ、
世に出た研究結果は、共有され、次の新たな研究を生み出す材料になります。
学術誌の中にこじんまりと論文投稿している人は何が楽しいのかあまり理解できません。
WEB上で全公開すればいいのにとさえ思います。それで、たったひとりでも役にたてたなら、それは、「論文が社会に対して生み出す価値を最大化」した結果だと私は思います。
自分の研究が、誰かを満たしたり幸せにしたりし、ひいては社会に祝福される。
それは、研究者としての「最大の喜び」ではないのでしょうか??
私は、”研究”を、多くの賛同者を巻き込み、加速度と影響力を得ながら、ストリームを起こすイメージでやりたいです。そうすれば、研究の果てに産み落されたものは多くの人に愛されるだろうし、期待され、祝福されるものになると思うからです。
私は今後、SCAに付随して、
学術・研究領域の人たちのネットワークの構築
研究結果等をオープンデータとして活用可能にする
SCAというプラットフォームを活用した研究の実施
学術・研究領域のソーシャルワーカーたちの、知識と技術とネットワークの公的使用、
そして、社会への提言を目的とした学術・研究部門の設立を考えています。
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4ヶ月前にこう書いたのですが、
この春からこれに向けて動き出せそうな素地が整いました。
この4月から、実践(病院)、研究(某大学院研究生)、起業(SCA)という3つの軸で諸々展開していけることになりそうです。(欲張って、援助者の言語化をテーマにした教育コミュニティも仕掛けます)出来ることは全部やっていこうと思います。
私はいつだって、自分が為すことが「社会に対してどのような意味をもち、どのような価値を提供することができるのか」ということを考えて、行動したいのです。
自分がやるより、他の誰かがやったほうがより多くの価値を社会に対して提供できると判断したならば、それを私がやる意味は、私の中にはありません。であるならば、サポート役に回った方が賢明です。
人生はそう長くはない。
だからこそ、私は自分が社会に対して提供できる価値の最大化を目指していきたい。
ただ、それだけです。
だからこそ、私は自分が社会に対して提供できる価値の最大化を目指していきたい。
ただ、それだけです。
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