対人援助職としてのアンガーマネジメントはなぜ必要か?という問いについて考える
公開日: 2014/01/10 MSW 教育 思索 自己覚知
私は対人援助の現場に7年身を置いていますが、いつまで経っても”慣れない”ことがいくつもあります。(ここで言う”慣れない”とは、”非常にくだらないと感じている”というシニカルな意味が多分に込められています。)
”慣れない”ことの一つが、
『クライエントをサポートするためのチームを構成すべき構成員たちが、
互いの行動を非難し、”怒り”を表出し合う』
ということです。
「○○さんは、全然わかっていない。つかえない!!!(怒)」
「○○さんは、ダメだ。あの人に話をしてもダメだから!!!(怒)
など。
なぜ、それが慣れないのか(”非常にくだらないと感じている”)のか。
本エントリでは、「対人援助職としてのアンガーマネジメントはなぜ必要か?という問いについて考える」と題し、その理由について述べていきたいと思います。
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目次
1.不健全な怒りは”問い”の生成を妨げる
2.不健全な怒りは、容易に援助者が自身の行動を正当化する理由にすり替えられる
3.くだらない”自己満感情コンテンツ”消費からの脱却
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1.不健全な怒りは”問い”の生成を妨げる
本エントリで述べる論は、『自分が援助者としてスーパーマンであり、ひとりで全てを好転させることができる』という、唯一前提条件を覆す設定が存在しますが、あなたがその設定を有していないのであれば、以下も読み進めていただきだいと思います。
私が勤務しているのは急性期の医療機関です。必然的にクライエントに関われる時間は限られており、生命の危機、もしくは身体状況を変化させる程の傷病に至った原因となり得る「生活問題の堆積」状況を、しっかりとクライエントとともに把握し、「生活問題の堆積」に至る諸々の要因を、軽減したり、それに至ることを防いだりする術を考え、クライエントの生活を再設計(立て直し)することが、求められます。
そして、上記は、医療機関のソーシャルワーカーだけでなし得ることでは決してありません。いや、不可能だ、と断言してもよいでしょう。
ということに自覚的であるとしたら、以下の問いが、急性期医療機関のソーシャルワーカーの中には、常に生じているはずなのです。
『限られた時間、限られた人的資源で、最大限にクライエントに利益を生み出すチームを構築することを最優先したとき、自分は援助者としてどう振る舞い、どんな行動をとるべきか?』
そして、上記の問いを曇らせるのは、
『自身が描いている援助プランに登場する人物(他の援助者)が、自身のプランに沿わない行動を為す』ということが起きたとき、それに「”援助者としてのちっぽけなプライド”」が掛け合わされて生じる”怒り”です。
これは、不健全な怒りです。不健全きわまりない。
というか、クソくだらない。
2.不健全な怒りは、容易に援助者が自身の行動を正当化する理由にすり替えられる
冒頭で記した
「○○さんは、全然わかっていない。つかえない!!!(怒)」
「○○さんは、ダメだ。あの人に話をしてもダメだから!!!(怒)」
この怒りは、言い換えれば、
「私の援助プランは正しい。それに沿わない他の援助者の行動は認めない。
そんな行動を起こす他の援助者は、三流でつかえない人間だ。」
という言葉と同義なんですよね。
これは、私の7年間の経験から断言します。
この場合、他の援助者の所属機関のトップに、建設的な意見を申すことができるくらいの論であればまだしも、その段階まで達し得ない論であれば、即座に捨て去るべきだと思います。ただの時間の無駄だからです。
(ここで問題なのは、怒り状態にある当の本人は、自分の怒りが全うな怒りだと信じて疑わないので、時間の無駄だとは思えないことでしょうか…)
私個人の話を少し…。
私は、現場2年目の頃まで、他機関の援助者に対して感情的になることが非常に多かったと自覚しています。(俗にいう”キレる”ことが多かったです。お恥ずかしい。)
そんなとき、上司に言われた一言が、以下です。
「ねえ、別に怒るのは勝手だけど、その怒りが向けられた先には、ちゃんとクライエントの利益になる何かを生み出す、という結果があるのよね?そうじゃなきゃ、自己満よ。わかってる?」
ぐうの音も出ませんでした。
わたしは、自分を恥じました。
なぜなら、当時の私の怒りの多くは、「自身が描いている援助プランに登場する人物が、自身のプランに沿わない行動を為す」ということに対して生じていた感情だったからです。
とっても、くだらないですよね?
今思い返してみても、恥ずかしさがこみ上げてきます。
「自身が描いている援助プランに登場する人物が、
自身のプランに沿わない行動を為す」ことに対する”怒り”
なんとエゴイスティックで、浅はかなことか。
不健全な怒りは、容易に援助者が自身の行動を正当化する理由にすり替えられる、のです。
そのことに自覚的であるべきだと、私は上司の一言から学びました。
そのことに自覚的であるべきだと、私は上司の一言から学びました。
3.くだらない”自己満感情コンテンツ”消費からの脱却
端的に言うと、「くだらないプライドを保持することで生じるエゴイスティックな振る舞い」の結果が、「自身が描いている援助プランに登場する人物が、自身のプランに沿わない行動を為す」ことに対して抱く”怒り”を生んでいるということを、2年目の私は自覚したのです。
「くだらないプライドを保持することで生じるエゴイスティックな振る舞い」の結果が生み出す、「自身が描いている援助プランに登場する人物が、自身のプランに沿わない行動を為す」ことに対して抱く”怒り”は、決してクライエントの利益を生じさせることにはなりません。
決して、です。その怒りは、(体裁はクライエントのための感じを装っていても)援助者の自尊感情を満たすことだけに向けられ、消費されるただの”自己満感情コンテンツ”だからです。
「くだらないプライド」により、他の援助者に対して向けられる怒りは、援助者自身の自尊感情を満たすだけの、クソくだらない”自己満感情コンテンツ”消費です。
そのことに気づいた私はそれ以後、クライエントの権利侵害や明らかに援助者として逸脱した行為に対して以外、現場で怒りを感じることがなくなりました。
その変わりに、”自身のちっぽけな専門職としてのプライド”を捨て去ることにより、”怒り”ではなく、「なぜ、互いに摺り合わせることができないのか?」という”問い”が変わりに表出するようになりました。
その変容は、私を大きく成長させてくれたと思っています。
自分の援助プランに沿わない行動→怒り
(そこには、ちっぽけな専門職としてのプライドが存在している)
自分の援助プランに沿わない行動→問い
(「なぜ、互いに摺り合わせることができないのか?」という問いの生成)
問いは、援助者としての自分自身の行動を省みて、
別の方法を再考する、試みる等という”変容”を生み出すのです。
「なぜ、互いに摺り合わせることができないのか?」
という問いは、援助者自身の”変容”のキークエスチョンになり得ます。
自分の”見立て”が甘いのかもしれない?
→改めてケースの全体像を捉えなおしてみよう。
自分の伝え方がよくないのかもしれない?
→伝え方をしっかり再考した上で伝えてみよう。
→お願いしたい”行動”をひとつだけ伝えてみよう。
相手のケースに対する向き合い方や気持ちの入れよう(モチベーション)はどうだろう?
→それを推測することができる質問をしてみよう。
などなど。
不健全な怒りは、冷静な思考を曇らせる害にしかなりません。
建設的な問いを自分の中に生成できれば、自分の行動を変容し、相手に対するアプローチ方法を変えたり、自分の中で再考すべきことを整理できたりします。
あなたの先輩や後輩が、現場でギャンギャン怒っていたら、その怒りの出所を冷静に眺めてみることをおすすめします。そして、あなた自身も現場で”怒り”を感じたら、その怒りを冷静に眺めるくらいのクレバーな客観性を身につける訓練をすることを中堅以前の方にはおすすめしたいです。
そういうことを、早めにやっておかないと、
援助者自身の自尊感情を満たすだけの、クソくだらない”自己満感情コンテンツ”消費劇場を、現場で展開する、恥ずかしい援助者になってしまいます。
意図的な感情表出、統制された情緒的関与。
バイスティックのケースワークの原則の7つのうち2つが”感情”に関することです。
それほどまでに感情は吟味し、自覚的に扱われるべきものなのだ、と私は読み取っています。
怒りを感じたとき、自分の感情が現場であらぶったときこそ、
”自覚的であること”を増やすチャンスです。
研修などで座学を受けるのもいいですが、日々の現場での気づきや学びを丁寧に積み重ねことに勝ることはない。私はそう思っています。
ということで、2014年も頑張っていきましょう!
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