Writing & Growing Social Worker 〜200万字書くことで得たこと・わかったこと・みえたこと〜
公開日: 2013/10/16 SCA エッセイ 思索 自己覚知 自分史 問いから言語化に至るプロセス
私は、書くことで、ソーシャルワーカーとして成長してきた。
日々の実践から得た物事を、その場限りのもの、
もしくは、体感知レベルで済ませることをよしとせずにやってきた。
過去6年間で、Blog+αで、少なく見積もっても約200万字。
原稿用紙5000枚分くらい。文庫本19,20冊分くらい。
書くことが仕事ではない人間が書いた分量としては、
もはや、趣味の域を出て、習慣のようなものだと思う。
うまいへた、好き嫌い、ではなく、「習慣」だ。
野球選手にとっての素振り。
サッカー選手にとってのリフティング。
私の、ソーシャルワーカーとしての”素振り,リフティング”は「書くこと」
書くことは、具体化→一般化→抽象化のプロセスを辿る、訓練でもある。
書くことは、行為だ。
書き続けることで、行為は習慣となった。
書くという習慣は、私に力を与えた。
書くことは、自分と向き合う作業だ。ゆえに、自分を知るためのツールとなる。
書くことは、書き手の洞察を深める。ゆえに、洞察力が鍛えられる。
書くことは、書き手の感性のアンテナの感度をあげる。ゆえに、変化に敏感になる。
書くことは、抽象化能力を高める訓練となる。ゆえに、”問い”を設定する力が身につく。
書くことは、忍耐的思考ができる力を生み出す。ゆえに、論理的な考え方が鍛えられる
書くことは、自分の思考がリーチできる幅(想像力)を広げる。
ゆえに、発想の飛躍ができるようになり、アイデアを生み出す時に活きる。
ソーシャルワーカーの業界で行なわれるスーパーバイズは、「事例検討」として行なわれることが多い。この効用は、スーパーバイズという枠組みもそうなのだか、「ケースについて書く」という行為を為す事自体が、バイジーの能力を伸ばしていると私は考える。(これはまた別エントリで記したい)
極論、わたしが、書くことを続けていなかったとしたら、
Social Change Agencyの立ち上げに至ることはなかったと思う。
私にとって、「書くこと・言語化」は全ての原点だ。
6年間、私は、下記のような段階図を経て、
「表出」→「組織・メディア化」の階段をあがってきた。
Social Change Agencyの立ち上げに至ることはなかったと思う。
私にとって、「書くこと・言語化」は全ての原点だ。
6年間、私は、下記のような段階図を経て、
「表出」→「組織・メディア化」の階段をあがってきた。
私も「表出」(言葉にすること)からはじめた。
小さな一歩から、階段を登り、今のフェイズまで来た。
だから、どの段階にいる人の気持ちも思い出せる。
それは、過去の自分でもあるわけだから。
だから、SCAは常に、全ての段階にいる人たちに対して、開かれていたい。
それを目指したい。いや、目指す。
小さな一歩から、階段を登り、今のフェイズまで来た。
だから、どの段階にいる人の気持ちも思い出せる。
それは、過去の自分でもあるわけだから。
だから、SCAは常に、全ての段階にいる人たちに対して、開かれていたい。
それを目指したい。いや、目指す。
私は愚直に言語化を続けた。ただ、それだけだ。
でも、だから、少しだけ、先に、階段を駆け上がった。
だからこそ、一段抜かしではなく、一段、また一段、
踏みしめるべき段階が、私には、”わかる”
ソーシャルワーク業界を、職能共同体として考えるとき、
見えるものが私にはあった。
これは、きっと私がSCA主宰として、未来を創っていく上で、
私を助けるだろうと思っている。
でも、だから、少しだけ、先に、階段を駆け上がった。
だからこそ、一段抜かしではなく、一段、また一段、
踏みしめるべき段階が、私には、”わかる”
ソーシャルワーク業界を、職能共同体として考えるとき、
見えるものが私にはあった。
私を助けるだろうと思っている。
私はいつまでも、一段目の階段を前に、
立ち尽くしてた自分を決して忘れないだろう。
できなかった自分を。
言葉にできなかった自分を。
決して、忘れない。
私が、忘れない限り、常に、SCAは、
全ての実践者、研究・教育者、社会活動家にひらかれた、
場、基地として、存在し続けるだろう。
書くことで、成長し続けるソーシャルワーカー。
そして、私は、今後、これを体系化する。
”Writing & Growing Social Work Method"
書くことで、成長し続けるソーシャルワーク技法。
また、ひとつ、高い頂と、おもしろい試みができそうだ。
………………………………………………………