過去の経験という獣に殺されないための「解毒剤と鎖」について考える
公開日: 2013/08/02 思索
1.過去の経験という獣
過去の経験から学べる人は偉大だ。
いっぽうで、過去の経験に殺される人もいる。
自分も、殺されかけた、そのひとりだ。
「なぜ、あのとき、あんなことを」
「あのとき、あんなことがなければ、今は…」
経験の主(あるじ)が、過去の経験を呪うとき、過去の経験は、
獰猛(どうもう)な獣になり得る。
過去の経験は、経験者の完全なる所有「物」にはなり得ない。
過去の経験は、獣のように、主に従順な素振りをみせながら、
主の首元を掻っ切る機会を狙っている。
だから、過去の経験は所有「物」ではなく、ナマモノ、イキモノ、ケモノ、なのだ。
2.過去という獣は、過去を呪う言葉を何より美味い餌とする
過去の経験という獣は、主(あるじ)の「現在」を餌にして、増強する。
「今、現在」から受ける外部要素すべてが、過去の経験という獣の餌になる。
「なぜ、あのとき、あんなことを」
「あのとき、あんなことがなければ、今は…」
過去を呪う言葉は、過去の経験という獣にとって、何より美味い餌になる。
過去の経験に、マイナス要素を付与させる外部要素が、獣にとっての美味い餌
過去の経験に、プラス要素を付与させるの外部要素が、獣にとっての不味い餌
獣を黙らせておくには、不味い餌を与え続け、飼い慣らす必要がある。
そして、人は、過去の経験という獣に殺されないための、「解毒剤と鎖」を得た。
3.獣のメシを不味くする「解毒剤」という名の”現実に対する認知を変える”ということ
解毒剤は、「現実」から受ける外部要素の中のマイナス要素を排除し、
獣の餌を不味くする。不味い餌は、獣のエネルギーをコントロールする。
「現在」から受ける外部要素を、過去の経験という獣にとっての「美味しい餌」ではなく、「不味い餌」とする方法は、経験の主が、「現在」をどう捉えるか、という、認知の仕方を変えることだ。
「なぜ、あのとき、あんなことを…」
「あのとき、あんなことがなければ、今は…」
過去を呪う言葉は、「現在」を過小評価し、認知を歪めてしまう。
4.獣の行動を制限する「鎖」としての”経験の語り直し”
解毒剤に加え、”鎖”は、過去の経験を語り直すことで、
過去の経験に適切で安定的な意味を付与し、獣の行動を制限する枷となる。
言葉で過去の過去を再定義する=経験の語り直し、と呼んでいる。
そして、語り直しの効果を高めるには、それ相応の規模の”舞台”が用意される必要がある。
語り直しは、閉じられた個の中では完結し得ない。
語り直しには、他者性という、語り直すための舞台が必要になる。
それ相応の規模の”舞台”は、語り手である人間の、
経験の語り直しをより強固なものにする作用がある。
そしてこれは、舞台にかかわる他者の人数や時間ではなく、
語り直しの渦中に出会う他者たちから、どれくらいのエネルギーを
傾けて「聴いて」もらったか、という実感値が、舞台の規模を決めるように思う。
過去の経験に対する意味の付与というのは限り無く、制限がない。
だからこそ、過去の経験をどう扱い、どう保有するかということは、
自分を整え、自然にゆるやかに佇むために、考えておいて損のないことだと思う。
5.過去の経験という獣を飼い慣らすために。
過去の経験を呪い続ける人間は、過去という経験が生み出す獣に、
いつか喉をかっ切られ、殺されてしまう。それを防ぐには…、
・獣の行動を制限する「鎖」としての”経験の語り直し”
つまりは、
・今現在に対する認知の仕方を変える=獣に不味い餌を与え続ける。
(外部要素を、解毒し、マイナス要素の不味い餌を、過去の経験という獣に与える)
・言葉により、過去を語り直す=鎖で獣の行動を制限する。
(外部要因という美味い餌にありつけないようにする)
この2つが必要なのだと思う。
過去の経験を呪うことを回避し、過去の経験という獣のエネルギーを削りながら、鎖で行動を制限する。だから、「経験という獣は飼いならされるもの」なのだと思う。
・今現在に対する認知の仕方を変える=獣に不味い餌を与え続ける。
・言葉により、過去を語り直す=鎖で獣の行動を制限する。
おそらく、前者は、ポジティブ心理学や、認知心理学などに基し、後者は、社会構成主義、ナラティブに基するものです。
過去の経験に捉われ、言葉で過去を呪い、今を謳歌できないのであれば、「解毒剤と鎖」を得るべきだと、私は思っています。