急性期病院と医療ソーシャルワーカー(MSW)
公開日: 2013/01/12 MSW
懐かしい顔と久しぶりに会った。
新人時代に出会った同業の男性。
若いながらに、この業界について色々と夢を語った仲だった。
彼は数年前にこの仕事をやめた。今は違う仕事をしている。
「やっぱり、医療ソーシャルワーカー(MSW)の仕事に戻ることはもう、ないかな」
彼はそう言った。
これ以上、自分にとっては寂しい言葉はなかった。
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年末年明けの病院のベッドは満床状態だ。
「新規の入院患者を受け入れるベッドが無い!」と病棟の看護師長はピリピリしている。
年明けの病院はどこも同じようなもの。
この仕事についてから6年間それは変わることはない。
急性期の医療機関に対して国から支払われる「診療報酬」は、入院患者さんの入院日数が長くなれ ばなるほど、下がる仕組みになっている。
治療が終わったら速やかに退院をしてもらい、無駄な医療費が生じるのを防ぐという、社会保障費の削減を目指す国の方針。
極論だが、治療が済んだのに、患者さんの入院日数がダラダラと長いような病院は、赤字になってつぶれてしまいなさい! ということ。
入院患者さん全てが、治療が終わり、「即退院!」できる人 たちばかりであれば、病院の財政は潤う。だが、超高齢社会、単身世帯が増加するこの時代、どこもそう 簡単にはいかない。
誤嚥性肺炎、脱水、低ナトリウム血漿、食思不振症、横紋融解症、 高齢者に特有の骨折…etc 何科だかわからないような状態の患 者さんを、何科かのDrがみている。
大学病院や三次救急の病院ならまだしも、二次救急の病院で、「専 門」のみに固執していたら、患者さんなんて来やしない。患者さんがこなければ病院の経営は成り立たなくなる。
肺炎で入院し、嚥下機能低下し、口から食事が食べられない。
昔は、老衰でそのまま…、という人も、点滴、胃瘻(胃に穴を あけて栄養を直接入れる)など、口から以外の代替方法で栄養をと ることができるようになっている。
病気は治ったけど、ごはんが口から食べられなくなった患者さん。
病院では看護師が点滴や胃瘻の処置をするけれど、家で同じように するのであれば、家族や介護保険サービスの利用で、処置を誰かが する必要がある。
病気は治ったけれど、寝たきりになったしまった患者さん。
ベッドから起き上がるのも、体の位置を変えるのも、誰かの手が必 要で、排泄はオムツで交換も誰かの介助を必要とする。
そんな患者さんは、急性期の病院にもごまんといる。
施設ではなくて、急性期の医療機関でもそうだ。
継続が必要な医療行為。日常生活全般に渡る介護。
それが、治療が終わった後の「円滑な退院」を阻害する。
90代の患者さんの家族が75歳の後期高齢者だなんてこともなん ら驚かない。
家族・親族の不在、経済的な問題を抱える人たちも多い。
健康保険未加入、偽名、戸籍がない、不法滞在…など。
病院として「事情はわかった。で、どうする?」という思考 で患者さん家族の抱える社会的問題に対処していくしかない。
「社会的問題」に付随する「事情はわかった。で、どうする?」に日々対処している のが、急性期の医療機関に勤務するソーシャルワーカー(MSW)だ。医療機関内で唯一の社会福祉職であり、各機関に1名〜多くて両手で数え られる程度の人数しか配置されていない弱小部署。
所属機関である病院から、医療ソーシャルワーカー(MSW)に求められる役割は「患者サー ビスの向上」と、「さまざまな退院困難な要因を抱える 患者さん家族」の「社会的問題」に早期に介入し、対処、解決をサ ポートすることに尽きる。
それが結果として「入院日数の短縮化→病院の収支に直結する」
「入院日数を短縮せよ!」という病院上層部からのプレッシャーにさら される医療ソーシャルワーカーは多い。
個人的には、さすがに、6年目にもなると、在院日数のプレッシャーは、もはや プレッシャーでもなんでもなく、真剣にケースに対峙し、真 摯にDr、NS他スタッフとコミュニケーションを取ることを怠ら なければ、なんとでもなる。
と、今なら思える。「今なら」
けれども、1年目,2年目、新人時代はこのプレッシャーがストレスに なることが多かった。
それを感じることのなくなった今、そういった組織からのプレッシ ャーにさらされながらも、ソーシャルワークの価値とか、そういっ たものを大切にして熟成し、自分の仕事に誇りを持って、新人のソ ーシャルワーカーが頑張れる環境が、多くの医療機関で整っている だろうか、と思い、そうであることを切に願う。けど、多くの医療 機関がそうでないことも知っている。「知ってしまっている。」
私は、同じ志の人たちと、ソーシャルワーカーが働きやすい環境をつくることができるよう、具体的に行動を起こしていきたいと考えている。
というのは、こうやってえらそうにのたまえるのも、自分がソーシャルワーカーとして働くことのできる整えられた環境に守られ、今までやってこれたことに、気づいているから。そして、 そのことに感謝しているから。
目指し、志した仕事を、長く、誇りをもって続けられる。
そんな環境をつくることに、自分の余力を注ぎ込んでいきたい。
だぶん、自分がそこに固執するのは、彼との出会いがあったからな のだろうな、と今夜改めて思った。
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そのことを彼に伝えることはできなかった。
これからもきっと、伝えることはないのだろうな、と今夜の彼の 言葉を聞いて思った。
俗にいう職場環境が滅茶苦茶で、「バーンアウト(燃え尽き症候群)」し、この領域を去らざるを得なかった彼との出会いがあったからこそ、今の自分が同業者のバーンアウトをどうにかして防ぐことができないか、と思い至ったプロセスが、かなしく、さびしかった。
気づいたことを、そのままにしておくことはしたくない。
自分にできることを、まずひとつずつ。
さ、頑張ろう。
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