援助過程におけるクライアントの「揺れ」を定義する
先日、患者さん家族の自己決定に至るプロセスの揺れに付き合い、少し疲「決められない人」と相手をラベリングすることは誰でもできる。
「揺れ」というキーワードで、過去のブログ記事に検索をかけたら
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患者さん家族の「揺れ」に付き合うには「余裕」が必要だと思う。
「揺れ」は一緒に混乱することではなく、センターラインの位置が わかった上でサイドステップを繰り返すイメージ。
つまりは、立ち位置を明確にした上(言い換えればどのようなスタ ンス、目的をもってその人に対峙するかということ)で、同じよう な揺れ幅で意図的に揺れるには、揺れることのできる「余裕」が必 要なのだと思う。
つまりは、立ち位置を明確にした上(言い換えればどのようなスタ
患者さん家族と医療者側の事実の認識スピードは
比喩すれば「自転車と新幹線ほど違う」のだと思う。
ラベリングすれば医療者側は楽になる。
「理解の悪い本人・家族」というラベルを張った瞬間
その人たちの「揺れ」に付き合えなくなる。
限られた時間の中で、その圧倒的なスピード感の違いの中で
対象となる人と一緒に意図的に「揺れる」ということは体力的にも
「揺れ」に付き合うことは「共感のポーズ」ではない。
「揺れ」に付き合うことは「揺れること自体を後押しすること」
一定のラインを越えれば「揺れ」は一つの方向性を見つけ
それに向かって人や環境は変容していく。
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上記は、援助者にとっての「揺れ」とは、クライエントに対する立
基本的な「揺れ」についての定義や捉え方は、3年前とあまり変わ
そのことに少し安心するとともに、今の自分が、上記の文脈を解き