感情優位のソーシャルワーク(仕事)からの脱却を図る
この仕事をしていると、様々な場面で関わる人から、感情丸出しのコミュニケーションを浴びせられることがあります。(この仕事に限ったことではありませんが…
ましてや、「対人援助」領域と称されるところに身を置く人が、そんなことでどうするのだと、思ってしまうわけです。
スタッフ同士で、他機関同士で、感情優位になりがちで、自分の仕事をコントロールしてあげられない人が、患者さん家族に対して、それができるとはとても思えないのです。
理想をいくら並べようとも、身近な人や事象に対する小さな物事の積み重ね方に、その人の内面は如実に出ます。
それは、ソーシャルワーカーとして、クライエントの方たちに関わる際にも思うことです。言葉より、「身近な人や事象に対する小さな物事の積み重ね方」に、その人の考え方、生活様式、大切にしている価値観というのは表れます。
わたしは、相手の気持ちに花を咲かせる一言とかを添えてコミュニケーションをとりたいと日々思います。それによって、相手が次にコミュニケーションをとる相手に優しく接することができれば、それがいい連鎖を生むかもしれないと思うのです。
私は、職種限らず、そういうコミュニケーションを自然に行える人を尊敬します。そういうスタッフを見つけては、「なんで、いま自分はこの人とコミュニケーションをとることで、心がほっとしたり、花が咲いたりしたんだろう」って考えてみることにしています。
そういう人は概して「余裕」があるようにみえます。
その余裕が、相手を安心させたり、落ち着いた気持ちにさせたりする。
相手の目を見ていう「ありがとう」の一言でもいいのだと思うのです。
「感情優位のソーシャルワークからの脱却」
わたしは、敢えてそのような表現を用いて、感情と理性のバランスの取り方を各々のソーシャルワーカーが考えることの必要性を提示したい、と考えます。
感情と理性をうまく同居させてあげられる術をもつことができてはじめて両者は、ソーシャルワークに(それを用いるソーシャルワーカーに)おいて有効に働くのだと思うのです。
例えば、0.5秒でも、余裕をもって、相手に心地よいコミュニケーションを心がける。
それを日々継続することで、みえてくるものってきっとある。
相手の心にそっと花を咲かせる。
そんなかかわりのできる自分でありたい、と思う今日この頃です。
小さな変化の積み重ねでしか、大きな変容は生まれ得ないのです。
大口叩くのも結構。
でも、誰かが、あなたの「身近な人や事象に対する小さな物事の積み重ね方」を見ながら、値踏みしているだろうということも、忘れないようにしたいものです。
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