今、私が考えるソーシャルワーク教育について
公開日: 2012/07/04 MSW SW解体新书制作委员会 思索
仕事をしていてワクワクするときはどんなときですか?
私は、日々の患者さん家族、スタッフ、他機関の人たちとの関わりの中で、自身の既存のソーシャルワークに関する価値観の定義がアップデートされたり、全く新しい価値観のボックスが見つかった瞬間が一番ワクワクして楽しくてたまらなくなります。
この仕事は、日々様々な社会背景を有した人々を前にして、こちら側にルーティンを作ることを許しません。ルーティンに流れた瞬間に、それは怠惰に変わるのです。
怠惰に足を取られないようにするには、自身のソーシャルワーカーとしての屋台骨を形成していく必要があると考えます。
本エントリでは屋台骨を形成するために必要なソーシャルワーク教育について「今、私が考えるソーシャルワーク教育について」と題し、記していこうと思います。
ワクワクを得るための「気づきボックス」のススメ
私はワクワクを得るためにいつも「気づきのボックス」を増やしていくことを考えています。
気づきはある一定量が溜まると「問い」を生みます。
「問い」は「新たな表現、新たな価値観」の呼び水になるのです。
今は手がつけられないなと思った「気づきまで昇華できない違和感」を
とりあえずぶっ込んでおく「気づきボックス」の数は多ければ多いほどいいのです。
「気づきボックス」へ放り込まれた違和感や気づきが積み重なり、そこから生まれた問いに対して、真っ向から対峙した結果生まれた自身のソーシャルワークに関する価値たちは、今現在の自分が現場で立つ上での屋台骨としての役割を果たしていると感じています。
それらの価値は、今後、時間と共に、そして自身の経験の累積とともにアップデートされていくのだろうと思いますが、くさびを打つかのように、ある時点での、自分自身のソーシャルワークの価値という持ち物を「見える」ようにしてあげておくことを個人的にはお勧めしたいです。
言葉、文字にして実践を記しておくことの意味
ケースレポート、援助記録などは読み返すことで、自身が当時、どのようなことを考えていたかを知ることができます。
中堅に足突っ込んでからそれらを習慣化するのはものすごくエネルギーを必要とするので、新人時代に援助記録の記載を習慣化できなかったとしたら、それを獲得するまでには多くの時間を必要とするのだろうと思います。
ですが、私自身、記録やレポートなどで、言語化してきたソーシャルワークの価値観が、「未来の自分を支えてくれることになるだろう」と新人時代に思い、その上で注力したわけではなく、結果そうなっただけなので、これを新人さんにどのように伝え、考えてもらうべきかというのはなかなか難しい問題でもあります。
言語化するということを、どう教育的な機能として伝えていくか、という問い
自身のソーシャルワーク実践の言語化がもたらすものを今の自分が、新人さんたちに「どのように伝え、考え、問うてもらうべきか」というのは喫緊の大きなテーマなのだと考えています。
押しつけではなく、発露する問題意識として腹の中でズシンと重く響くにはどうしたらいいか、ということ。
自分が伝えたいと思っている、ソーシャルワークの言語化の価値は、新人さんにとっては、未来に明確なメリットが見えるものではないかもしれません。
ですが、たしかに、その積み重ねで、現場という地に足をつけて実践ができてきていると実感している自分が確かに存在することもまた事実なのです。
教育というのは、学側自身が、学んだ先にある、その効果をわかるようであれば、それは真の学びにはならない、というようなことを内田樹氏が言っていたと思うのですが、わたしは今まさにその意味の深さにもがいています。(そこまで高尚なものではないですが。
5年目を過ぎ、6年目となった今。
そして10年目に至るまでの時間の使い方について、教育にどう関わっていくか。
ソーシャルワークを語る会&SWのキャリアラダーをつくる検討会
HYにスーパーバイズ機能を持たせようぜ!企画
などは、上記の私の問題意識をもう少し深く突っ込んで
考えていきたいと思いはじめたというのが一番の理由です。
今後も当ブログで、報告をしていこうと思っています。
もし、ご興味、ご賛同いただける方がいましたらお声かけください。
それでは!
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