臨床とことば-心理学と哲学のあわいに探る臨床の知-(Books)

公開日: 2012/05/06 思索 勝手にブックレビュー 読書記録


今回は臨床心理学者の河合隼雄氏と哲学者の鷲田清一氏の対談をまとめた「臨床とことば-心理学と哲学のあわいに探る臨床の知」を紹介します。


河合氏、鷲田氏の著作は学生時分から読んできたのですが、そのお二人の対談と知り、嬉々として購入したことを思い出します。


学生時代に読んで記憶に残った箇所と、今読んで引っかかる部分はもちろん違うのですが、最近読み返してみて、自身の仕事にひきつけて印象に残った部分を以下、引用します。



「感覚」について河合氏が、河合氏のお兄さんのエピソードを引き合いに出して語っている場面が非常に示唆的でした。


河合氏の兄が仕事でアフリカの人と付き合いがあり、現地でアフリカ人がゴリラの足跡を見て「あ、ゴリラが3日前に通った」とか「あ、ゾウが川上にいます。その匂いです」というのを見て、河合氏のお兄さんは「現代人は感覚が鈍っているけれど、アフリカの人は非常に鋭い」と考えたそうです。


そして、アフリカ人を日本に連れてきて、アフリカ人の背の戸をちょっとあけておいて、そこに人を通らせて「今、何人通ったか?」とか「今通ったのは人か?男か女か?」とか匂いの実験とか諸々をしたそうですが、日本人と差異はなかったそうです。




河合氏は上記、実兄のエピソードを引き合いに出し、


「どういうこっちゃ?」と思うでしょうけど、でもこれは当たり前なんです。横を人が通ろうと通るまいと、その人の人生に関係ないですよ。だけど、ゴリラが昨日通ったか、今日通ったか、ゾウが風上にいるかいないかというのは、命がかかっているわけでしょう。だから、その人の人生とのかかわりの中の感覚はものすごく鋭いわけです。


これは、つまりは人間が個として「どのよう生態系」の中に生きているか、という背景を無視しして、「感覚」について語っても仕方ないでしょう、と河合氏は言っているのだと思います。これは他者を理解しようとする行為を経る上で、非常に示唆的なことだなと思います。




もうひとつ、鷲田氏が経験されたエピソードについて、少し長くなりますが引用します。
「ケア」という概念を考える上で、こちらも非常に示唆的なものでした。


鷲田:(自身が入院したエピソードについて)すぐ向かいのベッドに八十いくつの、食事もほとんど入らないような、意識があるのかないのかわからないようなおじいさんがいらっしゃったんですね。 
それをよいことに、新米の横着な看護婦さんが、起きてはるか寝てはるかわかりませんから、お昼時が済むと、片づけてカーテンを閉めてお昼寝させてあげるふりして、その患者さんの上にグオーッとうつ伏せになって昼寝していたんですよ。 
「まっ、ひどいやつだな」と思って、僕、最初は痛かったので関心がいかなかったんですけど、ちょっと余裕ができてから、何をしているのか突き止めてやろうと思って、注意してたら、何か様子がおかしいんですよ。 
そのうちに、その子が寝ている間だけ、おじいさんは目をパチッと開けるようになったんです。それも横目で廊下の方を見ているんですよ。どうしたのかなと思って何日間も見ていたところ、どうやら、おじいさんは廊下の監視をするようになったんですね。 
河合:看護婦さんを寝かせているわけですね。 
鷲田:それで、婦長さんなんかが来たら、その若い看護婦さんをふっと触ってやるんですよ。力がないから押すまでいかないですけれども。たぶん「この子はおれがちゃんと見てやらな、えらいことになる」と、おじいさんは関心を持ち出したんですね。(中略) 
その時私はこうも思ったんですよ。他人に関心を持ってもらうだけというのは、むしろ、ある時は支えてくれるけれども、ある時には人を受け身にしてしまう…。それに対して「自分が見ていないと、この子はえらいことになると思う」というふうに、自分が外に関心を持つと生きる力が湧いてくる…。


支える。支えられる。かかわる。かかわられる。ケアをする。ケアを受ける。


これらは、能動的、受動的、という二側面だけでは語りきることができないのだ、ということを上記エピソードは教えてくれるように思います。


「いること」の意味。
「誰かのために」、「前の前にいる他者のために」という他者に求められたいという欲求。


そういった「他者に求められたい」という欲求は、自分自身が「自分という存在をその場にいさせてあげる」上で必要なもの。


今、誰かに支えられてる人も、違う場面で誰かを支えている。


人が営んでいく生活というものは、そのような循環の中にあるものなのだな、と本作を読んで改めて思う。そんな一冊でした。






目次
臨床心理学と臨床哲学(臨床の知/ 聴くこと ほか)
聴くことの重さ(臨床哲学事始め
ことばを掴んでしまう ほか)
臨床における「距離」(哲学学とハウツー時代からの離脱
ボーダーレス化した大人と子ども ほか)
「語り」と「声」(「語り」について/ 「声」について)


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