認定社会福祉士制度について考える
公開日: 2012/05/09 MSW SW解体新書制作委員会 思索
今日、ふと、新人時代に、他院の男性MSWと、いずれ自分たちが教育的機能を有するような立場になったら、就職の決まった学生を自分の勤務先で数ヶ月みっちり鍛えて、就職先に送り出してあげられるシステムを創りたいねという話をしたことを思い出しました。なぜこの業界が、認定社会福祉士とか、そういった方向にベクトルが向くのだろう…と不思議で仕方ないとともに、悲しくて仕方がありません。(これについては過去エントリにて記しました)
志を持ち現場に入った新人さんたちが、バーンアウトしてこの業界を去ることがないように…そのための継続性かつ再帰性のある仕組みをつくりたいと自分は思っています。
業界は、認定社会福祉士制度ではなく、上記のようなことにこそパワーを注ぐべきなのではないかという疑問は、私が経験年数10年目を超えたりしたら消えるものなのでしょうか?
例えば、現場は忙しいから実習を受けられないとか、就職が決まった学生さんを研修に時間を割いてあげられないというのは、現に事実かもしれないですが、その事実を「おかしい、変えよう」と思わなければいつまで経っても、この業界の教育体制などは変わっていかないのだと思っています。
「現場は忙しい」というのは単なる暴力的なキーワードで、排他的で、建設的な議論を誘発はしないと思うのです。
教育に「あらかじめ必要な時間」と算段すれば、残された時間で残りの仕事をどうこうするのが、時間管理というものだと考えます。「現場が教育に携わるべき」という意識がなければハナから、「必要な時間」なんて捻出できないだろうと思うのです。
今年度は、そのあたりを実際にリサーチに動こうと思っています。
現任者各々が、その時々に提供できる余力としてのリソースを教育に注ぎ込むのではなくて、あらかじめ「予定された、必要なもの」としてリソースを投入する、という枠組みで考えなければ、継続性かつ再帰性のある仕組みはできないと思っています。
後輩たちに、よりよい環境を創ってやろうぜ!
それによって、この業界がより一層活発になることを願おうぜ!!
そう思い、意識を変えていかなければ何も変わらないのだと思います。
ある程度キャリアを積んでいく中で、あらかじめ「予定された、必要なもの」として、教育に自身のリソースを投入するという枠組みで考えることをせずには「専門職」としての責務は全う出来ない、と戒めの意味を込めて、そう考えます。
臨床、研究、教育。このバランスが大事だと思うのです。
そして、自分がどこにどう偏っているかを自覚することは大切なこと。
とりあえず自分自身も、まだまだ至らないことばかりですが、この5年間で臨床から得る学びについては、自分自身の中で再帰性のある仕組みの基礎を得ることができたと感じています。ですから、あとは「仕組みの基礎」のアップデートを繰り返していくのみ。そして、研究、教育に割けるリソースを増やしていくのみだと考えています。
ちなみに、冒頭の夢を語り合った彼はバーンアウトしてこの業界を去りました。
(過去エントリ:バーンアウトを防ぎたいと思った理由について)
彼との出来事が、私にこのような問題意識を与えてくれたのだと思っています。
同業者の方は、認定社会福祉士制度、ソーシャルワーカーの教育体制についてどのようなご意見をお持ちですか?もしよければお教えいただけると嬉しいです。
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