価値創出格差論-ソーシャルメディアが見せる新たな価値創出のプラットフォーム幻想から脱するために-
公開日: 2011/09/10 思索
経済的安定、人間関係のネットワーク、住まいの安定。この3つのどれかが欠けていたり、不安定な患者さんが本当に多い。前の病院では、ここまで日々強烈に上記について考えることはなかったから、本当に日々勉強になっています。
無縁社会というキーワードに代表される、会社が家族的な機能を廃し、血縁関係が古き良き価値観に基づき稼働しない社会においては、血縁にも会社にもすがれないし、頼れない。だから、個人は新たな価値に基づく紐帯を何か他のものに求めざるを得なくなります。
そして、新たな価値に基づく紐帯(ネットワーク)を考える上で、まずその前提となる「どのようにして新たな価値を創出していくのか」という議論は避けて通れないのだと思うのです。
その議論を展開するにあたり、WEB、とりわけソーシャルメディアについて語ることは避けて通れないように思います。エジプト、リビアの政変において、TwitterやFacebookなどのソーシャルメディアが果たした役割というのは記憶に新しいところです。
日本における「どのようにして新たな価値を創出していくのか」という広義の問いは、ふたつの段階で語られるものだと思っています。
「血縁、地縁、会社などの古き良き日本の価値創出のプラットフォームではない、新たな紐帯(ネットワーク)を形成し、その紐帯を価値創出のプラットフォームにすることができるか」という段階の議論。
そして
「で、その創出された価値に基づいて社会は、生活はどう変わるのよ」という段階の議論
「血縁、地縁、会社などの古き良き日本の価値創出のプラットフォームではない、新たな紐帯(ネットワーク)を形成し、その紐帯を価値創出のプラットフォームにすることができるか」という段階の議論については、古き良き日本の価値創出のプラットフォームに変わる新たな紐帯を生み出す可能性を有しているものとして、先に記したTwitterとかFacebookなどのソーシャルメディアが挙げられるのではと思います。実際にその議論は様々な論壇でなされています。
個人的な実感としては、ソーシャルメディアは多くの人間に「新たな価値創出のプラットフォーム幻想」を見させているように思います。けれども、「で、その創出された価値に基づいて(おれら、わたしらの)生活はどう変わるのよ」っていう問いに確かな回答を持っている人間は、あまりいないのではないか、と。
情報過多、そしてその情報への意味付け・解釈が無数溢れているインターネットの世界が「価値観のウィンドウショッピング」を可能にしたように思うのです。
価値観のウィンドウショッピングが可能になったことで、マスメディアから付与される「この店のこの商品が一番ですよ」という「指定された店でのショッピング」から脱することができるようになったことは、「多様性」やら「自分らしさ」が尊重され、良いこととして語られる社会においては、歓迎されるべきことなのだと思うのです。
ソーシャルメディアは価値感のファッション化を可能にし、価値観のファッション化を成すためのキャラ化への傾倒を加速させたのだと思うのです。人々は「価値のウィンドウショッピング」をし、そして自分でチョイスした価値観を「価値観のポートフォリオ」に組み入れていく。
ブログ、Twitter、Facebook、mixi…
ツイートの内容、誰をフォローするか、誰と繋がろうとするか、自分の興味関心は何か、自分の考えていることは何か…自分自身の情報を「意図的に」他者に開示し、可視化させることにより、「自分はこんな価値観を有している、こんなキャラですよ」ということを表明し易くなりました。
これはアイデンティティ・クライシスを回避するための、ひとつの処方箋なのだと思うのです。そしてそれは物質的に満たされている世界に住んでいるからこそ、生まれる「危機」と「処方箋」なのです。
「ああこの考え方っていいな」
「こんな生き方って共感できるな、自分も見習ってみたいな」
というように、気軽な感覚で、ファッションのように価値観を「着こなしていく」
着こなし方のセンスみたいなものが、求められ、もてはやされる時代になってきているのかもしれません。
そもそも現実世界において「頭一つ飛び出すこと」を求めないのであれば、アイデンティティ・クライシスさえ回避することが出来れば、社会が個人に対して「創出された価値に基づいて自分たちの社会、生活がどう変わるのか」ということを考えるよう要請しない限りは、それは考えなくてもよい議論なのかもしれません。
例えば、TwitterのTLは、自分の意思の介在しまくりな海(自身の意思でフォローしている集団のみが存在する世界)であって、言ってみれば胎児を保護する羊水みたいなもの。自分の意思が介在しまくりな羊水の海に漕ぎ出してみたところで、結局はアイデンティティ・クライシスを回避するための処方箋どまりで、「新たな価値創出のプラットフォーム幻想」からは抜けられないのではと思うのです。
ソーシャルメディアを、現実世界では交わることの可能性の低かったハブ(人や既存のコミュニティ)とハブを接続するために「駆動できる」人間のみが、「新たな価値創出のプラットフォーム幻想」の先にある大海原の景色を眺めることが出来る。つまりは、新たな価値創出のプラットフォームが生み出す「リアル」に触れることができるのだと思うのです。
価値観のショッピングを覚え、アイデンティティ・クライシスへの処方箋を得た個人が、そこに安住するのか。
それとも、「社会を変える」ために、その処方箋を破り捨て、新たな価値創出のプラットフォームが生み出す「リアル」を目指すのか。
両者の間に存在する溝を「価値創出格差」と表したとき
願わくば、個人的には後者でありたいと思うのです。
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